羽生の棋士人生の中では四冠の時期が一番長い
谷川は1992年2月に王将を獲得して、竜王・王位・棋聖と合わせての四冠。直前の竜王及び棋聖の防衛戦と王将戦挑戦者決定リーグなどが重なって、91年の12月に月間12勝1敗という月間最多勝の記録を打ち立てた時期である。当時の谷川には七冠を期待する声もあったが、「竜王あるいは名人を含めた四冠が現実的」とは本人の弁だ。そして四冠獲得直後から、いわゆる羽生世代との死闘が本格的に始まることになる。
羽生の四冠達成は1993年。竜王、王座、棋王、棋聖を併せ持った。そして四冠奪取の直後にも王位を奪い、五冠へ至った。四冠から五冠までの期間が一月足らずというのは最速である。ここから1996年に実現する七冠ロードをひた走り、さらに2002年の王位戦で谷川に敗れるまで、9年連続して四冠(以上)を持っていた。
そして上記でも触れたが、羽生は2004年に王座の一冠まで追い込まれている。しかし同年の王位戦で谷川から王位を奪うと、更に翌年2月に森内から王将を、谷川から棋王を獲得して、あっという間に四冠へ復帰した。一冠まで減ってから四冠に復帰したのはこの時の羽生以外に例がない。
2度目の四冠は2006年の3月に棋王戦で森内に敗れたことで終わったが、2008年の7月にまたも四冠へ復帰し、1年半ほどキープ。さらに2014年の5月には4度目の四冠となり、2年間守った。これまでの羽生の棋士人生の中では四冠の時期が一番長いのである。
頂点を争う者の宿命
おそらく、三冠~四冠を持つという状況が、もっとも棋士にとって過密日程に追われることになるのだろう。渡辺は自身初の三冠時代について「三冠獲得以降は防衛戦だけを何とかしのいだだけで、勝率も高くなかった。それまでの貯金が尽きたときにどん底が来た」と語っている。そして、そのタイミングで自らのモデルチェンジを図ったことが再びの三冠復帰につながったとみている。
過密日程などを含めるハードな環境を克服して1年間四冠を保てば、それ以降は当時の経験を生かして、より戦う態勢を整えられるということになりそうだ。大山、中原、羽生の長期政権樹立はそれに成功したことが大きいのではないか。
四冠に挑む藤井は竜王戦七番勝負と並行して、まずは王将戦挑戦者決定リーグ、A級昇級を目指しての順位戦B級1組などといった勝負将棋を相次いで戦うことになる。そして頂点を争う者の宿命とも言えるが、すべての棋士が自身に照準を合わせて向かってくるのである。まずはその戦いぶりを見守りたい。
※渡辺名人の2回目の「四冠チャンス」について追記しました(2021年10月1日15:30)