鍵や火元を何度も確認してしまう、手を洗うのがやめられない、書棚の本の高さが揃っていないと気持ち悪い……。四六時中、何らかの不安に苛まれる「強迫症」は50~100人に1人は発症する一般的な病だ。それだけに症状に悩まされる人は決して珍しくない。では、そうした症状はどのように治療がなされるのだろうか。

 ここでは、精神科医で自身も強迫症を発症した経験を持つ亀井士郎氏、そして亀井氏の治療を担当した強迫症・不安症の研究・治療の第一人者、松永寿人氏の共著『強迫症を治す 不安とこだわりからの解放』(幻冬舎新書)の一部を抜粋。身の回りのものが異様に汚染されているように感じ、執拗に洗浄を繰り返す《汚染/洗浄系》と呼ばれる症状に悩まされていた女性について紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

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症例――春子さん33歳

 春子さんは33歳のときに筆者(松永)の外来を受診しました。典型的な《汚染/洗浄系》の症状を呈していた彼女は、重度の強迫に振り回され、疲弊しきった様子でした。

 春子さんは幼少期に特に発達の異常を指摘されたことはありません。元来明るく几帳面な性格で、綺麗好きでした。小学校の頃から、カギや落とし物の確認は人より多い方だったものの、特に困ることはなく、自制内に収まっていました。大学を卒業した後、事務職として4年間勤めました。26歳のときに退職し、夫と結婚して1児をもうけ、専業主婦となりました。

 31歳の頃です。春子さんは近所のスーパーマーケットで、顔に怪我をして血を流している高齢の男性を見かけました。その横を通ったときに、ふいに血液による感染の不安がよぎりました。「あの人の血に触れてしまったらHIVに感染するんじゃないか?万が一、5歳の我が子にうつってしまったらどうしよう」と、強い不安を感じました。その不安は連鎖し、「ひょっとして、あの人の血がスーパーの食材に付着しているのではないか」と考え、帰宅後、スーパーで買ったものを全て水道の水で洗いました。それ以来、スーパーで買い物をした後には、同じ内容の不安と、同じ洗浄の行動が繰り返されました。それにとどまらず、他のお店で買った食器も不安に感じて使えない、赤いもの(ポストや道のシミなど)に「血がついているかもしれない」と不安になり、徹底して避ける、というように、行動の制限が拡大していきました。

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 特に注射の針に春子さんは強い恐怖を覚えました。他の人の針が誤って使いまわされている可能性を考えてしまいます。それゆえ、それまでは毎年受けていたインフルエンザの予防接種も怖くて避けてしまい、さらには子供に受けさせることもできなくなりました。

強迫症状はエスカレート

 次第に症状の苦痛と生活への支障が強くなり、近所の精神科クリニックを受診しました。そこで強迫症と診断され、薬物の服用を勧められます。しかし、いざ薬を前にすると「薬を作る段階で汚染物質が混入しているかもしれない」と不安になって結局内服ができず、治療を進めることができませんでした。

 その後も、子供が公園に行けば「他の児童が怪我をして、我が子がその血液に触って感染するかもしれない」という不安が生じ、以後はひとりで外に行かせることを止めるようになったり、帰宅時の入念な手洗いを強要したりと、「巻き込み」も目立つようになりました。子供が育てていた朝顔にも「キノコが生えて、その胞子がばらまかれて病気のもとになるかもしれない」という不安から、罪悪感に苛まれつつもその朝顔を捨ててしまうこともありました。このように、強迫症状はエスカレートする一方でした。