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《長崎》長崎クルス
現在は「小浜食糧株式会社」が手がける「長崎銘菓クルス」だが、発売当初は湯せんぺい(せんべいではなく“せんぺい”が正式名)の製造をしていた「小高屋」が現在のものとは違う形で手がけていた。「小高屋」の三代目小高国雄氏が、来崎していた鈴木信太郎画伯(「マッターホーン」(学芸大学)や「こけし屋」(西荻窪)の包装紙で有名)に「“クルス煎餅”という菓子を作りたい」と伝え、シスターの絵や「クルス」の文字を描いてもらったという。「小高屋」から画伯の絵一連を買い付け、小浜食糧が開発した現在の「クルス」は当初、駅の売店「キオスク」での販売からスタート。そのため、売り場で目立つデザインにしたいということから、黄色い缶になったという。その効果あって、当時、長崎駅では「黄色いパッケージで売れるのは“森永ミルクキャラメル”と“クルス”だけ」とも言われるほどだった。