初のピンで挑んだラジオ番組、終わったら仕事が来なくなった
――その番組名は?
赤坂 『ロックンサラダ』。ミッキー吉野さん(※)らと一緒にやっていて、当時の洋楽ヒットを流していました。「ラップタイムDJ」という、ラップのようにイントロに乗っかって曲を紹介するコーナーも受け持って。ミッキー吉野さんのスタジオに行って、ミッキーさんと一緒にオープニングテーマや「ラップタイムDJ」のコーナージングルを作りましたね。これで「来たな!」「いける!」と思ったけど、番組が終わってからはラジオの仕事は来なくなっちゃいました。
いろいろな局のオーディションを受けたし、ニッポン放送なんかは持ち込んだデモテープを回してくれたけどダメでしたね。「ラジオでなにをやりたいの?」と訊かれても、「楽しいことをやりたいです」って答えてるだけでしたから。「オリジナルのチャートを作ってます」とか、そんな考えをもっていない。要するに“引き出し”がないんです。それをプロデューサー、ディレクターはちゃんと見抜いていた。
(※)ロックバンド・ゴダイゴのピアノ、オルガン、キーボードプレイヤー。
――いわゆる“暗黒期”に当たるのでしょうか。
赤坂 話がなかったわけじゃないんです。でも、「引き出しのないまま、ただの勢いで番組を持ったら次はないな」と冷静に考えていた時期でもありました。
「サラリーマンができないから、俺はこっちにいるんだ」
――その頃、芸能活動はしていたんでしょうか。
赤坂 たいして、やってないです。街でスカウトされて、バターかなにかのコマーシャルに出たのは覚えてますけど(笑)。イベントがあったら司会の仕事をやらせてもらったり、そんなのでつないでいましたね。ただ、“音が鳴っているところ”だけには行こうと、原宿とか渋谷をウロウロしてね。
その頃に同級生から「赤坂、夢じゃ食えねえんだぜ」と言われたのは強く覚えてます。就職した連中はボーナスなんかをもらってるわけですよ。飲みに誘われても、僕はポケットに割り勘の3000円すらない。それで奢ってもらったことがありますね。で、やっぱり友達も僕の状況に気付いて「おまえ、本当にこれでいいのか考えろよ」って。
――さすがに気持ちが揺らいだのでは。
赤坂 これが揺らがないんですよ(笑)。見栄ではあるんですけど「サラリーマンができないから、俺はこっちにいるんだ」と開き直って。