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《スラッガー・村上宗隆の育成術》“参考にした日本人野球選手は…”高津臣吾監督が明かした若手選手の“育成指針”

『二軍監督の仕事』より #1

2021/11/23
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 投手でいえば、アマチュアとプロの差は「コントロール」の違いにある。プロで成功している選手は、狙ったところに制球できる。簡単に書いてしまったが、本当に狙ったところに投げられるのだ。「なんとなく、あのあたりに」というのでは通用しない。アマチュアの場合は「だいたいあそこ」という感覚なのだが、プロの場合はピンポイントで制球できなければ結果を残せないのだ。

 この制球におけるギャップを埋めることも、二軍の仕事のひとつだ。

 ただし、二軍の場合、「なんとなく、あのあたりに」というコントロールでも、何かひとつでも秀でたものがあれば結果を残せることがある。そうなると、一軍にコールアップされるチャンスが膨らむ。

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 育てる、という観点からすると、こういうシチュエーションがいちばん難しい。

 二軍としては、もう少しじっくり育てた方がいいんだけどなあ……という場合もある。ただし、優勝を狙う一軍としては、どうしてもこの選手を上げたいという状況になることは珍しくない。

 選手は一軍でプレーしたいのが当たり前だし、二軍監督が「まだ早い」と言って昇格を見送ったとしたら、きっと恨むことだろう。それに、大下のように成功するケースもある。

©文藝春秋

昇格のタイミング

 僕としては、「いったい、いつ昇格させるのが正しいのだろうか?」と思い、過去に成功した選手の履歴を調べたことがある。

「スラッガー村上」を育てるにあたって、参考にしたのは横浜DeNAベイスターズ(当時)の筒香嘉智の育成方法だ。

 高卒で、左打者。筒香はどんな成長過程をたどって、いまのようなスラッガーになったのだろうか?

 筒香は横浜高から入団し、1年目の2010年にファームで本塁打26本、打点88と、イースタン・リーグでナンバーワンの成績を挙げていた。

 とんでもない数字だ。いま、現場を預かっている僕からすれば、「こんなに打ってるのに、一軍でプレーさせなかったのか」と驚いた。

 このシーズン、横浜(当時は横浜ベイスターズ)が筒香を昇格させたのは10月になってからのことだった。よくぞ、横浜の首脳陣は我慢して育成に徹したと思う。

本塁打を22本にまで伸ばし、横浜を代表する選手に

 その後の筒香の育成過程を見ていくと、2年目も二軍で本塁打王になり、そしてようやく3年目の2012年に一軍に定着するようになる。

 実は、このシーズンの評価が難しいのだ。筒香は一軍で100試合以上プレーしているのだが、打率が2割1分8厘と低く、まだまだ試行錯誤の段階だったと思われる。

 この3年目を受けて、DeNAはどうしたか? 4年目も筒香を一軍に置いておいたのだが、起用法が定まらず、一軍ではプレー機会が少なくなり、本塁打は1本だけだった。