「あの連中は、本気であんなことを思っているのだろうかね」
これに対して司会の丹羽は対談の「附記」で、山崎の死について「決して解決ではなく、自分だけの卑怯な逃避」「人間としての当然心得るべき認識を若気の至りで軽視していた」と批判。この対談を企画した当時「婦人公論」編集者の三枝佐枝子さんは著書「女性編集者」でこう書いている。
「山崎氏と小谷氏が帰ったあと、丹羽文雄氏は深い嘆息をもらされた。『あの連中は、本気であんなことを思っているのだろうかね』と。戦前と戦後と、二つの世代の間にはポッカリと大きな亀裂が生じていることを、私たちは知らされたのであった」
「どこか思いつめたところがあり、心のゆとりがなさすぎる」
こうした山崎の言動は当然メディアの強い関心の対象となった。11月27日付東京タイムズは社説で取り上げ、直前の10月に出版された戦没学生の遺稿集「きけ わだつみのこえ」と重ね合わせて、死への向き合い方が共通していると指摘。同日付夕刊読売は「戦後派の悲劇」と題した社説で「どうも戦後派にはどこか思いつめたところがあり、心のゆとりがなさすぎる」と断じた。
「サンデー毎日」12月11日号の「今週の話題」で東京日日新聞(現毎日新聞)主筆などを務めた阿部眞之助は、学生が高利貸をすることを「少しの良心の呵責なくこれをなしえたところに、現代の青年と現代の教育の正体があらわれているのではあるまいか」と評した。
当時の大人たちにとって「アプレ(ゲール)」と呼んだ戦後派の若者たちは、自分たちの価値観とは全く懸け離れた、無軌道、無節操、非人情に見え、山崎はそれを集大成した「アプレの代表」のように見えたのだろう。
三島由紀夫の「青の時代」と山崎
山崎は「現代の間貫一」(尾崎紅葉の小説「金色夜叉」の主人公)とも呼ばれ、事件は作家らの創作欲も刺激して多くの小説に取り上げられた。北原武夫の「悪の華」、高木彬光の「白昼の死角」……。
特に三島由紀夫の「青の時代」は、この事件に関して必ず触れられる作品だ。登場人物の名前や出身地などは匿名や仮名になっているものの、「序」で「光クラブ」事件と山崎がモデルであることを明記。事件の正確なデータが生かされているとされる。
それは、三島が東大法学部で山崎の1学年後輩で、面識があったらしいことからきているとも。三島本人は1951年1月発行の「財政別冊読物特集号」で作家の眞杉静枝と対談。「三島さんなんか、年代的にアプレに属するのですが、そうお思いになりますか」と司会役に聞かれ「(江戸時代の)八百屋お七だってずいぶん大胆だった」と返し、「アプレという概念で強いて括りたくないという感じですね」と問われて「そうです」と明言している。
さらに、アプレゲールにも功績があったとして次のように語っている。
「日本人の義理人情と、うるさいおせっかい根性と、向こう三軒両隣的人情と、人の噂と、とにかく乗り出して一肌ぬぐという、ああいう日本人のいやな人情は大嫌いだったが、そういうものがこれから修正される。これはアプレゲールの功績です。アプレゲールの変な現象にしろ、光クラブの山崎にしろ、一応信ぜられなくなったというところから、自分がそういうものの壁にぶつかって、自縄自縛で破滅するのですが」
「日本人にほんとうにいたわりのある中産階級の生活感情が出てくるためには、日本人の島国根性を捨てなければいけない。お互いに家族の中で譲り合って、さぐり合わない。おせっかいのない、ある意味では冷たそうに見えるが、遠くからいたわり合っている関係、こういうものが日本人にできれば、いま過渡的に変なことになっているが、いい意味での過渡期とも見られる」