戦後の“アプレ(ゲール)犯罪”としては、このシリーズでも「メッカ殺人事件」「オー・ミステーク事件」を取り上げた。「八宝亭事件」の容疑者も“アプレ”の1人に挙げられた。今回登場するのはその中でも“アプレのヒーロー”と見られた青年の物語だ。
現役東大生のままヤミ金融会社を起して当時の金で数千万円を扱い、メディアでも取り上げられて一躍“時代の寵児”に。しかし、物価統制令違反として摘発されて事業も急降下。本人は青酸カリ自殺に及んだ。
時間を「有意義」か「浪費」かで割り切るような徹底した合理主義、人間的な感情を排した非情さ、女性遍歴を繰り返し「女は道具だ」と言い切る意識……。彼が作り上げた特異で強烈なイメージは伝説化し、金で全てを測るとされた拝金主義は2000年代の「ホリエモン」騒動など、起業家、投資家が登場するたびに共通点が指摘された。
しかし、それらは本当に彼の実像だったのだろうか。今回も差別語・不快用語が登場する。また、女性については匿名とする。
2021年、日経新聞コラムに載った「ある事件」
2021年6月、経済産業省のキャリア職員2人が新型コロナウイルス対策の給付金をだまし取った容疑で逮捕された。主犯格は東大出で、あらかじめペーパーカンパニーを作って詐欺の受け皿にした。
6月29日付の日経新聞朝刊1面コラム「春秋」はこう書いた。「戦後犯罪史に残る出来事の1つに『光クラブ事件』がある。1948年から翌年にかけて、東大生の山崎晃嗣が仲間の医大生らとともにヤミ金融で荒稼ぎし、社会問題になった事件だ」。経産省職員の犯罪と比較して述べ、こう締めくくった。
「痛々しいほどの虚無感が漂う。70年後のいま、世相はまるで違うはずだが、社会のどこかに共通する心情が潜んでいるのだろうか」
「光クラブ」とは
その光クラブが社会の表面に出てきたのは、日経の記事にあるように1948年の後半。10月22日付東京タイムズ2面下の広告欄には以下のような三行広告が載っている。「金融斡旋 貸方月一割八分迄 担保提供大小不問 乞照会 中野本町4の38 鍋横電停近 光クラブ」。
「鍋横」とは鍋屋横丁のこと。4日前の10月16日に鍋屋横丁マーケットに「光クラブ」の看板を掲げて事業をスタートさせていた。同じ東京タイムズの翌年1月25日付には「求ム貸事務所」「銀座、新橋、日本橋方面」という広告を載せており、都心に事務所を求めたことが分かる。
そして翌1949年2月10日付読売の「遊金利殖 堅実第一担保提供 金融斡旋 気軽く御用立乞御照会」という広告では、光クラブは「中央区銀座2ノ3(松屋百貨店裏)」と中野の2カ所の住所と電話番号が記載されている。業務が順調に拡大していたように見える。
「光クラブ」という名称は、山崎自身が「当時、戦後の新興勢力の随一と喧伝された新宿の尾津組の復興スローガン『光は新宿から』から取った」と1950年2月に刊行された「私は偽悪者」で述べている。「クラブ」は、同業者が以前「新橋クラブ」の名称で盛んに金を集めていたから、とも。