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「ヒロヒトは北朝の継承者であり、自分は南朝の最後の天皇の系譜を継いでいる」

 記事は、この後に、「僭称者の物語」として彼の主張をつづっている。要旨は次のようだ。

「後醍醐天皇在位当時、足利尊氏が反乱を主導して天皇を京都から南の吉野山に追いやり、自らの判断で皇子を立てて新しい王朝を開始。京都から北を治めた(北朝)。約60年間、皇位争いは続き、南の正当な王朝(南朝)は後村上、長慶、後亀山と3代続いた。ヒロヒトは北朝の継承者であり、自分は南朝の最後の天皇の系譜を継いでいる。

 1392年、南朝の後亀山天皇は強いられて、皇位と、鏡と剣と勾玉の三種の神器を北朝の後小松天皇に譲り、その子孫が現在の皇室になっている。後小松天皇の即位は正当ではない。

 クマザワ家の子孫はそれ以来5世紀、譲位を要求。そのために暗殺された者もいた。70年間に7回、宮内省(当時)に請願したが、迫害を受け、自分も17年前に亡くなった父親も思想警察に弾圧された。自分は僧侶、農民、行商人を経て最後に商店主になった」

「マッカーサーから保護されている」と主張

 同紙は翌1月19日付にも1面右下に、店の前に立つ熊沢と妻、3人の子どもの写真を載せている。「LIFE」は1月21日付で同趣旨の記事を載せ、他の記者が所属する新聞もそれぞれ記事を掲載したとされる。このときのことを熊沢は12年後の「人物往来」1958年11月号掲載の「未発表・熊沢天皇回顧録」で振り返っている。

「Stars and Stripes Pacific」に載った「熊沢天皇」一家の写真

 ある日、自宅へ5人の外人記者が二世の通訳を伴って訪れてきた。

 5人の記者は、脚の苦痛を我慢しながら畳の上に座り、実に6時間半にわたって私の話を熱心に聴き、写真を撮った。

 話し終えて、宅にあった配給のビールを出してコップについでやると、彼らはそのコップを持って外に出ていく。そして外で乾杯している。不思議に思った私が通訳に聞いてみると、「『日本新皇室バンザイ!』と言っているんですよ」と答えた。

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 ただ、彼はやってきた一団がGHQから派遣された歴史学者と思っていたらしい。その後の著書などでも「マッカーサーから保護されている」と主張。