NHK番組の「ファミリーヒストリー」や「自分史ブーム」から家族のルーツ探し、家系図への関心が高まっている。
伝統や系譜に対する意識は誰にもあるのだろうが、その“頂点”に位置するのは現天皇で126代とされる天皇・皇室。だが、敗戦直後は天皇制が大きく揺さぶられた時期だった。
東京裁判に代表される戦争責任の問題、新しく制定される憲法との絡み、そして最大のカギは日本占領に当たった連合国軍と、その実質的な主体であるアメリカ政府の意向。複雑で微妙な状況の中に一石を投じたのが、当時幾人も登場した自称天皇たち、中でも熊沢寛道の「熊沢天皇」だった。
国内外のメディアに取り上げられて一時は“時代の寵児”に。しかし、庶民の関心は長続きせず、徐々にピエロのような存在に。忘れ去られる中でひっそり世を去った。
戦後の混乱期に登場し、一瞬怪しい光を放って消えた彼は一体何だったのか。皇室存続をめぐる論議や皇族の女性の結婚に過剰な興味が示されるいま、その意味を考えてみる。「熊澤」という表記も見られるが、本人が著書などで「熊沢」を使っているので、新聞の見出し以外はそれに従う。今回も差別語・不快語が登場。敬称を略させてもらう。
「別の“天皇”がいま登場した」
問題が世に知られるきっかけは、日本と朝鮮半島向けのアメリカ軍準機関紙「Stars and Stripes Pacific」(星条旗紙太平洋版)の記事だった。敗戦から約5か月後、1946(昭和21)年が明けて間もない1月18日付1面の題字の上に「Pretender Claims Hirohito’s Throne」の大文字。「僭称者(王位を自称する者)がヒロヒトの皇位を要求」とでも訳すのだろうか。
主見出しは「56歳老商店主が真の元首の血統と発言」。「ピーター・グロツキー軍曹・記者」の署名がある記事は冒頭、次のようだった。
【東京】別の“天皇”がいま登場した。日本の皇位の血統は554年前の革命で破壊されたと主張。長身、上品で、現在は戦禍の日本の街の郊外でつつましく商店主をしているクマザワ・ヒロミチが、自分を皇位に就けて“歴史的不正”を根絶するようマッカーサー元帥に請願した。
彼の店の裏側の質素な住居を訪れたアメリカとイギリスの4人の記者によると、56歳の熊沢は、山のような歴史文書と陵墓、神社、宝物のリストやその他、彼の主張を裏付ける証拠を所持している。
1カ月以上前に提出されたという請願は、彼の主張を実証する文書、宝物は現在、ヒロヒト天皇、皇室、そして故近衛(文麿)公爵が所有しているとした。
「タイム」「ライフ」誌のリチャード・ローターバック、「ロンドン・デーリー・テレグラフ」のコーネリアス・ライアン、「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」のフランク・ケリー、「ボルチモア・サン」のロバート・コクレーン、そして「ライフ」のカメラマン、アルフレッド・アイゼンスタッドが取材に訪れた時、少数の側近から“ヒロミチ天皇”と呼ばれている彼は、天皇以外厳禁されている16弁の菊の紋章をつけた着物を着ていた。
グロツキーは5人のうちの誰かから話を聞き、「Stars and Stripes Pacific」は東京発行のため、結果的に他の新聞や雑誌より早く掲載されたのだろう。マッカーサー元帥は、占領軍のトップの連合国軍総司令官。