「反対、疑問、支持論者が都内の所々に張られたビラを取り巻いての自由論議である」「口の悪い一人『どうでもいいや』」。この記事から分かる通り、メディアによって一躍「時の人」となった熊沢は全国各地で講演会を開催し始めた。
秦郁彦「熊沢天皇始末記(下)」(「正論」1989年7月号所収)によれば、講演会は入場無料で平均500人の聴衆を集め、のちには資金難から30円、50円(現在の1200円と2000円)の入場料を取るようになったという。
「天皇制共産主義ですナ」
この間の同年2月、GHQは日本政府が提出した憲法改正要綱を拒否。象徴天皇など、現行憲法の骨子となる「マッカーサー草案」を突きつける。政府はこれを基に3月6日、要綱を発表した。東京裁判は同年5月3日に開廷。昭和天皇の戦争責任が1つの焦点となる。こうした状況の中で天皇に批判的だった「左翼」は、「熊沢天皇」をどう見たのだろうか。
戦後創刊されたリベラル派の新聞「民報」は6月3付で「天皇制共産主義ですナ スポークスマンの夢幻的御託宣“熊澤天皇”とは」という見出しの記事を掲載している。「帝都に入洛中というので、城北の某アパートの一室に“熊沢天皇謁見”にまかり出た」と最初から揶揄的。
本人は不在で「熊沢天皇に関しては、当主の意を体して一切の代弁を任されている」という「侍従長?」「宮内大臣?」の吉田長蔵(52)と記者が一問一答を交わしている。
「今度の戦争は北朝と軍閥がやったことだから」
その中で吉田は「敗戦で『熊沢天皇』を持ち出したわけは?」と問われ、「今度の戦争は北朝と軍閥がやったことだから」「負けたのは北朝と軍閥、官僚、財閥、地方の特権階級」「終戦の詔書で陛下も朕の身はどうなっても構わぬと言っているのだから、私情を投げ打ってこの際善処すべきであるとこう思ったから」と答えた。
さらに「国の基本を確立させなければならぬ国体護持の立場から南朝に大権を奉還すべきである」「(現)天皇は大元帥として当然戦争の大権を掌握していた戦争犯罪者である」とも。日本政府の憲法案を「現在の天皇を認めていれば死文と同様」と述べ、「共産党は天皇制絶対打倒だが?」と聞かれてこう答えている。
「北朝の天皇制は国民に被害を与えた。だが、南朝の天皇は圧制をしておらず、もし南朝が立てば、幸福にいかないことはなく、天皇制の下でも共産主義でよろしい。天皇共産主義ですナ」。吉田は「熊沢天皇」の史学全般を担当していたというが、これでは揶揄されても仕方がないと思わせる。
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生々しいほどの強烈な事件、それを競い合って報道する新聞・雑誌、狂乱していく社会……。大正から昭和に入るころ、犯罪は現代と比べてひとつひとつが強烈な存在感を放っていました。
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