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 食糧難がピークに達したこの年の1月1日、昭和天皇は「天皇は神話と伝説によって生まれたものでなく、国民と利害を同じくし、相互の信頼と敬愛によって結ばれたもの」とする詔書を発し、「天皇の人間宣言」として国民に衝撃を与えた。GHQの意向を受けた天皇側の生き残り戦術だった。

1946年元日の天皇の「人間宣言」(読売報知)

 敗戦直後の当時は、東京裁判を前に、天皇の戦争責任を問う声が国内外から上がる一方、天皇の位置付けを焦点として新憲法をめぐる動きも進んでいた。「熊沢天皇」は天皇論議が最高潮に達した“絶好の”タイミングで出現。GHQや外国人ジャーナリストの中にもいた天皇に反対する勢力にとって格好のキャンペーンの材料になったといえる。

東大国史学科の教授の見解は…

 ただ、彼を訪ねた5人の反応を見ると、ジャーナリストとしての興味というか、風変りな人物の登場を話題として面白おかしく取り上げた、という印象が強い。

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 1月20日付読売は2面ベタ(1段)で「發(発)言權(権)なし 熊澤問題語る 東大相澤教授」の記事を載せた。「熊沢天皇」問題についての東大国史学科の教授の見解。

「元来、南北朝歴史は明治44(1911)年の第27議会で大問題となり、国会はこの国体論のために終始し、論議を尽くした結果、南朝の正統たることが歴史的に証明され、今日、歴史家の定論となっている。57年にわたる両朝対立の後、元中9年に第99代の後亀山天皇は持明院統(北朝)の後小松天皇に正式に譲位され、南北朝合一となったのであるが、この合一は足利義満の謀略によるもので、義満は講和条件を全く無視し、以後南朝を圧迫し続けた。ここにこの間の紛擾がかもしだされる原因があるのだろう」

名古屋の「熊沢天皇」の店を描いた漫画(「VAN」より)

「なんら発言権がない」

 ここまでは「熊沢天皇」側の言い分と重なるが、後が違う。

「証拠資料があるなら、その正誤を鑑定するのは、歴史家にとって極めて容易のことだ。その人物が本当の系図なり資料なりを持っていても、皇位継承問題については何らの発言権もない。なぜなら皇統の後裔という理由で発言権があるとすれば、日本人の中には正当な資料を持っている者がどれだけいるか分からない。しかも元中9年の合体以後、後小松天皇が皇位の全ての条件を満たされて正当の天皇となってから今日まで、正当の皇位継承が行われてきているのだから、南朝の子孫といっても、皇位継承問題にはなんら発言権がない」

 あっさり切り捨てたという感じだ。