「ピンクって名前がつくバンド名なんてありえない」
この時期の俺の大きな転機としては、子供が産まれたこと。当時は音楽活動よりも子供と一緒にいる時間を優先させてもらったんだ。早く家に帰って子供をお風呂に入れたかったから、JL&Cのリハーサルも14~18時でやっていたんだよ。あとJL&Cは、練習をやりすぎないバンドだった。ジョニーは「やろうよ」ってタイプだったけど、マーちゃんは「練習するとうまくなってしまって、おもしろくない」なんてことをよく言っていたね。
しばらく経つと、ジョニーにもマーちゃんにも子供が産まれて、ひとつの大きなファミリーのような付き合いになっていった。ラブ&ピースなヒッピーのコミューンみたいだったね。例えば、俺が仕事に集中している時はジョニーがジェシーの面倒を見てくれたり、俺があっくん(金子ノブアキ)に算数の宿題を教えたこともあった。そういうところまでは……良かったのかな。その後、レコード会社を移籍することになり、メンバー以外の関係者もコミュニティに入ってくるようになった。バンドの名前もJL&Cからピンククラウドへと変わることになり、活動は次のタームへと移行していった。
実は、ピンククラウドという名前はマーちゃんが名付け親なんだ。たしか東北へ向かう特急列車の中で「レコード会社を移るにあたり、新たにバンドの名前を決めなきゃいけないんだけど、どうする?」って3人で膝を突き合わせて話した時に、マーちゃんが突然「ピンククラウドかシルバースターにしよう」と言い出したんだよね。一番何も考えてなさそうな人がいきなりそんなことを言うもんだから、俺とジョニーは「え?」って顔を見合わせて驚いたよ。その理由を聞いたら、サンフランシスコにいる知り合いの名前で、本名は知らないんだけど男性がピンククラウド、女性がシルバースターと呼ばれていて、そのふたりは夫婦らしいんだ。俺はそのストーリーを聞いて「実在する人の名前をつけるのはおもしろいかも」なんて思ったんだけど、ジョニーは男気のある人だから「ピンクって名前がつくバンド名なんてありえない」って考えていたかもしれないね。マーちゃんの「どちらかと言えばピンククラウドのほうがぶっ飛んでておもしろくない?」ってひと言で、新たなバンド名が決まったんだ。
延々とソロを弾く気にならなかった
JL&Cで初めて作ったスタジオ・アルバムが『Tricycle』。三輪車って名前が示すように、いろんなことに興味がある三歳児みたいな感じで、バンドとしていろんな実験に挑戦することができた作品だね。ジミヘンばりのハード・ブルース「Finger」から、爽やかな「Scooter」や「Balcony」、バンド結成の経緯を歌詞にした「Stories」までいろんな楽曲が入っていて……今思えば、子供がその辺にあるオモチャで手当たりしだい遊び散らかした感じだよね。
思い返してみると……JL&Cは俺のキャリアの中でも一番「ギターとの距離が遠かった」時期かもしれない。ギター・ソロを弾くことに命をかけるというより、どうやって新しいアンサンブルを作り上げていくかってことに心血を注いでいた。ジョニーとマーちゃんと一緒に演奏していると、延々とソロを弾く気にならなかったのも大きな理由だね。そんなことよりも3人が生み出すとんでもないグルーヴを聴かせたかった。