前回も述べたように、「忠臣蔵」が長年にわたって愛されてきた大きな魅力の一つとして、「オールスター作品」に適しているという点が挙げられる。十二月十日発売の新刊『忠臣蔵入門 映像で読み解く物語の魅力』(角川新書)でも、現時点で全長版を確認できるオールスター「忠臣蔵」映画は全て解説している。
ただ、時おり見受けがちなのが、「四十七人もスターを集めないといけない」=「四十七士の全てにスターを配する必要がある」という誤解だ。
だが実は堀部安兵衛などの数名を除き、四十七士にスターが配されることは少ない。というのも、出番が多く拘束時間が長いのに見せ場はあまりなく、しかも大石内蔵助や浅野内匠頭よりも下の立場。そのため、スターを配しても豪華さが出ないのである。
「忠臣蔵」にはその他にも討ち入りに絡む登場人物が数多くおり、彼らの方が短い出演場面ながらも見せ場がたっぷり用意されていたりする。しかも、大石や浅野と同等や上の立場だったりするので、脇での出演であってもスターとして格が落ちる感がない。そのため、そうした役柄にスターを配することで「オールスター」たりえてきた。
今回取り上げる一九六一年版『赤穂浪士』は、そうした「脇のスター」の豪華さが魅力の作品といえる。
内蔵助に片岡千恵蔵、内匠頭に大川橋蔵という東映の二大スターを配しているのだが、市川右太衛門、中村錦之助というこれまた一枚看板のスターが両者にガッチリと絡む。
錦之助が演じるのは脇坂淡路守。隣藩の藩主同士ということもあり内匠頭と親友同士の設定の役柄で、本作ではさらにそこを強調。吉良上野介の嫌がらせに苦しむ内匠頭を励ますべく赤穂藩邸を訪ねて共に酒を酌み交わす――という他の「忠臣蔵」では見られない芝居場が用意されている。
一方の右太衛門が演じるのは千坂兵部。上野介の実子が養子として藩主に座る上杉家の家老として、大石に対峙する役柄だ。といっても、通常の「忠臣蔵」では両者に直接の絡みはない。が、本作はかつての同門という設定にした上に、内蔵助が江戸に入る場面では兵部は自らその前に姿を現し、言葉は交わさずとも激しい火花を散らしている。
つまり、千恵蔵─右太衛門という重鎮同士、橋蔵─錦之助という若手同士、それぞれ同格のスターをがっぷり四つに組み合わせた芝居場を作り、その画の豪華さで引っ張っているのだ。一方、他の四十七士はほとんど見せ場がない。
それでも作品として成り立ってしまうし、十分に楽しむことができる。「忠臣蔵」はスターを愉しむ時代劇なのだ。