足早にエレベーターに乗り込んだが…
バッ……!
Fさんは双眼鏡を外し、呆然と遠方の山林を眺めた。肉眼となった視界では、あの境内の様子を捉えることは叶わない。
「なんなんだ……」
Fさんは急に居ても立ってもいられないほどの恐怖に苛まれ、足早にエレベーターに乗り込み、ボタンを連打した。
「あいつ、こっち向かってたよな……」
カビ臭いエレベーターの中で、そんな思いが駆け巡る。
チーン…ガーッ
辺りは日が陰り始めていた。
「あんたのせいじゃないよ」
港を背にして、Fさんは足早に駅まで向かっていた。
あんなに暑かった夏の空気はすっかり影を潜め、Fさんは薄暗い日陰に寒気すら感じ始めていた。
いったい自分はどれくらいあの祭りを眺めていたのだろう。数分のはずだ。だが、ならなぜ辺りはこんなに陽が落ちているのだ。Fさんは怖くなって腕時計を見ることができなかった。
すると、前方から一人のおじいさんがこちらに歩いてくるのに気がついた。
人間だ!
その瞬間、異界にでも迷い込んだような心持ちがすっと解けていくような気がして、すれ違いざまに思わず声をかけてしまった。
「あの――」
「あかんかったんは、あんたのせいじゃないよ」
Fさんは胸がギュッと締まるのを感じた。そして、そのまま駅まで走った。
時計は見ていないが、おそらく10分ほどで電車が来た。
今にも“アレ”が奇妙な動きで目の前に現れるのではないかという堪え難い恐怖から逃げ出すように、Fさんは電車に飛び乗った。
一刻も早くこの町から離れたかった。
その後、Fさんはあの駅がどこだったのか何度か思い出そうとしたことがあったが、二度と記憶が蘇ることはなかった。
あの夏の体験は幻だったのか、夢だったのか……それは定かではないが、Fさんは今でもあの“人形”がこちらに向かってくるような気がしてならないという。
(文=TND幽介〈A4studio〉)