プロになれたのは、藤井の存在が大きかった
また森はこうも話す。
「藤井さん(聡太竜王)について聞いたら『自分とは全然違いますから』って答えるから、それは逃げだと思った。歳が同じなのに、戦う場に立とうとしていない。敵わないと思った瞬間に棋士失格です。偉い先生ですからとか言うくらいなら、黙っていればいいんだ。そしてもっと将棋の勉強をして結果を出して欲しい」
この言葉を高田に投げると、さすがに言葉に詰まった。
「今の自分の立場だと、藤井先生がどれくらいの実力かまったくわからないんですよね……。関わる機会がなくなってしまったので。自分が奨励会の級位者の頃、有段者の藤井先生は凄いなと思っていたので歳上の人よりも気を遣って話していました。その後も活躍する姿に刺激を受けて、頑張る気持ちになれた。プロになれた要因には、藤井先生の存在がかなり大きかったと思います。
師匠からは、僕は藤井先生の10分の1も努力していないと言われていました。確かに藤井先生は小学生のときから1日中将棋のことばかり考えていて、他のことにまったく意識が行っていない。頑張っているというよりも、頭の中で絶対将棋のことを離さない感じです。そこの努力を増やしていかないと、追いつくことはできない。僕は将棋の勉強をずっと続けることが苦手で、同じくらい食べることも考えているんだよなぁ」
“田舎棋士”として活躍できたら
高田は今後も地元に残り、対局と普及活動を頑張りたいと言う。
「岐阜県からは今奨励会三段に宮嶋(健太)君がいますが、まだ一般には将棋が盛んとは言えません。愛知県は藤井先生の効果がとても大きいので、岐阜県も盛り上げていきたい。ここはすごい田舎ですけど、その環境にいても頑張れることを示せたら。“田舎棋士”として活躍できたらいいなと思っています」
師の森は、高田が地元に残ることについてこう話す。
「まだ切羽詰まってないからでしょうね。順位戦で降級点を取ったら、そんなことは言っていられない。地元の新聞が応援して記事を書いてくれるのを最初は良かったと思っていたんだけど、だんだん心配になってきた。あんまり持ち上げすぎるのはよくない。追い詰められた危機感がなくなる。棋士になって安心して、若いからいずれ勝てるだろうという気持ちを持っていたら危ない」
長閑な環境がハングリーさを薄れさせてしまう可能性は、高田も感じている。
「修行時代から大阪にいるときはすごい集中できるのに、実家だとそれが難しいというのがよくありました。都会は誰しも気持ちが張っているじゃないですか。街を歩いていても、目的地に着くまで話しかけたりしない。ここの人たちは穏やかで、僕が駅に行くまでに家庭菜園をしている方が『将棋の高田さんですよね』って話しかけてくれる。嬉しいですけども、都会の環境よりは気持ちが緩んでしまうのかな。でも三段リーグで最後に勝てたのは、大阪に行って研究会とかVSをした後に、地元に帰って落ち着くというのがプラスな状況でした」