「高田君はプロじゃないの?」

 クラスの子にそう聞かれて、ちょっと説明に困った。高校に入学してから、奨励会や記録係で大阪に行き休むことが多い。同い年の藤井聡太の活躍が毎週のように報じられて、高田も将棋の仕事をしているのを知られていた。

「いや、僕はまだプロじゃなくて……」

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「じゃあどうして将棋で学校を休んでいるの?」(全2回の2回目/前編を読む

高校生活のプレッシャー

 奨励会というプロになるための機関があって、今自分は初段で、四段からがプロだと説明する。すると今度はクラスメートの男子が「俺も初段だよ」。いや、その初段じゃないから……。アマチュアとプロでは段位の規定が違い、奨励会6級に合格するにはアマ四~五段クラスの実力がいる。

 10代の若者にとって、同い年の者が活躍するニュースは刺激的だ。誰でも自分や周りと比較してしまう。

「藤井君すごいね。高田君も頑張って」

 さりげないクラスメートの言葉に心が締めつけられる。自分も決して昇段が遅いわけではないのだが……。

高田明浩四段

 高1の終わりに藤井の獲得賞金が2000万円を超えて話題になったときだ。

「高田君はいくらもらっているの?」

 まだ奨励会員なので対局料はもらっていない。でも記録係をしているため、1日で1万円ほどの手当がつく。高田は月に2、3回は泊まり込んで記録を録っていたので、交通費と滞在費を引いてもそれなりの金額が残った。将棋の勉強のためにしていることだが、アルバイトが禁止の学校だったので「ずるい」と言う者もいた。

「藤井さんのニュースが流れるたびに、僕がいくらもらっているかを何度も何度も聞かれて。藤井さんと比べられて『全然大したことないね』と言われて。あれが一番キツかったな。早くプロになって堂々とお金を稼ぎたかった」

「高校生活があったから四段に上がれた」

 学校を休むと、体育の授業の補講があった。1周4キロの持久走コースを、休んだ生徒たちが走らされる。体育の授業が月曜日と金曜日にあったため、週末を挟んで大阪に滞在していた高田は補講を受けることが多かった。

「多いときには8回分くらい溜めてしまって、冬休みに走りに行きました。試験勉強もあまりしていなかったので、よく追試になって。でも、その方が友達から好感を持ってもらえたんですよ。免れた時の方が逆に肩身が狭かったです」

 奨励会の対局の後、地元に帰り着くのは22時過ぎになる。感想戦や検討をした日は午前0時を過ぎた。駅に父親が車で迎えに来てくれた。

 負けた翌日は学校に行くのが辛い。それでも朝5時半に起きて棋譜を並べた。7時に自転車で学校へ向かう。片道約20分の通学路は、住宅街を抜けて田園風景の中を走る。頬に当たる風が心を穏やかにしていく。

 友達と話していると少し元気が出た。

「昨日は負けちゃった」

 ライバルや家族の前では見せられない弱気さ。一言、誰かに聞いてもらえるだけで気持ちが紛れた。

「プロになってから思ったことですが、高校生活があったから四段に上がれたんじゃないかな。その時間が自分には大きかったです」