昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

特集観る将棋、読む将棋

2021/12/29

弟子にするにあたっての「二つの約束」

 手紙を出してから10日後、斎藤は畠山からの返事を受け取った。母が読んでくれて、「先生が関西将棋会館でお会いしたいそうよ。まずは面接みたいな感じかしらね」と言った。

 当日、斎藤は緊張しながら母と将棋会館に向かった。畠山の斎藤への印象は、「おとなしい線の細い子」だった。将棋の才能を宿しているのは間違いないだろう。だが、勝負の世界はそれだけでは勝てない。自分より弱いものを一瞬でたたきのめす激しさ。奨励会という場所では、それが必要なのだ。そんな思いを抱きながら、畠山は言った。

「僕が君を弟子にするにあたって、二つ約束があります。一つは、君はこれからどんどん強くなる。私よりも強くなっていくだろう。そして私は衰えていく。それでもいつまでも私を師として、その言葉を聞けますか。もう一つは、私は君に教えることはしない。将棋は指さない。自分で強くならなければならないから。私も努力する。一緒に強くなろう」

 師の言葉は斎藤にとって忘れられないものになった。

 

 二つの約束。しかし「二つ目の教えないという約束は、すぐに破られたのですけどね」と師弟は笑う。畠山の指導対局があると、母親に連れられた斎藤がいつも来るのだ。アマチュアの大きな大会がある日も出場せずに、わざわざ有料の指導対局に来る。畠山は、そこまでするなら月に2回、二人で研究会をしようと告げた。斎藤の母親は月謝をお支払いしたいと申し出たが、畠山は「弟子ですから要りません」と断った。そしてこう話した。

「慎太郎くんは、一度弱くなります。プロの筋をたたき込みますから。だから半年間くらいは、これまでのように勝てなくなるでしょう」

 早い太刀筋を見てしまったら、それまでのように無邪気に打ち込めなくなる。だがプロになるためには必要なプロセスだ。説明を聞いた両親はこう答えた。

「1、2年はクラスが上がれなくてもいい経験だと思っています」

 このときから斎藤が三段リーグの途中まで、8年にわたって師弟は約800局の対局を行った。

子どもの頃は負けると、よくうなされていた

 研修会ではC1にいた斎藤だが、小学4年の夏に受けた奨励会試験には受からなかった。

「子どもの頃は負けると、よくうなされていました。寝言で棋譜を口にしていたそうです」

 試験に落ちた後、寝ぼけて起き出すと、ベッドの上で正座した。将棋を指す手つきしながら呟く。

「こんなにやっているのに、勝たれへん」

指導対局を受ける斎藤少年

 その様子を見た母親は、「10歳の子がこんなに思い詰めるなんて」と驚く。息子は体も気持ちも、そんなに強くない。果たして、このまま続けさせて大丈夫なのだろうか……。心配した母親は、師匠にこのことを知らせた。畠山は言う。

「入門した頃は、繊細すぎる感じがあった。思い詰めてしまうというか。真面目に一心に盤に向かう子より、よそ見をしながら早指しする子のほうがプロに向いていると言われる。斎藤のひた向きさだけが、逆に心配だった」

z