自分をうまくコントロールしながら、最終局へ
第66期王座戦で斎藤は連勝スタートを切ったものの、第3局と第4局で敗れて、勝負は最終局へともつれ込んだ。勢いは中村防衛へと傾いたかに思われた。斎藤はこのときの心情をこう話す。
「師匠が順位戦で自分が勝ったせいだと気にされているだろうなと(笑)。ただ私としては、心の不安はなくて、集中力もすごくよかった。自分をうまくコントロールしながら、最終局に臨むことができました」
斎藤には、前年度の棋聖戦挑戦の経験が生きていた。羽生善治に挑んだ初のタイトル戦で、ひどい内容にだけはしたくないという思いが強かった。
「気負いや恐れが、どこか勝負に影響を与えてしまった気がします。タイトル戦は出てみないとわからない。時間の流れまで違う気がする。今回は、その記憶や経験が生かされたと思います」
「師匠が来ていた!」第5局の対局場、山梨県の常盤ホテル
第5局の対局場となったのは山梨県・常磐ホテル。皇族もご宿泊された由緒あるホテルである。これまで将棋・囲碁のタイトル戦が幾度も行われてきた。タイトル保持者の中村太地は、5年前にも挑戦者として訪れていたが、関西育ちの斎藤にとって、山梨県は初めて訪れる地であった。
対局日の朝、斎藤は早くに目を覚ました。大浴場は朝5時から入ることができる。湯に浸かり、心を休めようと思った。部屋のある西館から大浴場のある東館へと向かう。まだ館内に人の気配は少ない。途中の通路には「名人の小径」と称されるギャラリーがあった。歴代のタイトル戦で訪れた棋士たちの揮毫が並ぶ。升田幸三実力制第四代名人、谷川浩司九段、羽生善治竜王。中村太地の師であり、山梨出身の故・米長邦雄永世棋聖の色紙も飾られていた。
それらを眺めながら通り過ぎようとしたとき、「あれっ?」と斎藤は1枚の色紙に目を留めた。
「気根 七段 畠山鎮」
自分がいちばんよく知った人の書が、他の色紙より一段上に飾られていた。「師匠が来ていたんだ」。それを見つめながら、畠山の照れる顔が浮かぶ。
「米長先生と並べられたらかなわんわ~」
斎藤は自分の顔が自然とほころぶのを感じながら、大浴場へと向かった。
これは常磐ホテルの営業部長、小沢行広の配慮だった。前年、名人戦の副立会人として来館した畠山に、揮毫をもらっていた。普段は全てを常設できている訳ではないが、タイトル戦に合わせて展示したものだった。現在ホテルには、畠山の隣に「意気自如 王座 斎藤慎太郎」の色紙が並んでいる。
写真=野澤亘伸
◆ ◆ ◆
畠山鎮八段と斎藤慎太郎八段の物語は、『絆―棋士たち 師弟の物語』(マイナビ出版)で全文が読める。また、「将棋世界」の連載をまとめた同書には、計8組の師弟が登場する。