37万部超のベストセラーには何が書いてあるのか
私がこんな半世紀以上も前の批評文を引っ張りだし、錆びついた言葉に油をさしているのも、最近、こうした人間洞察が言葉の世界からすっかり消えてしまったからである。例えば、斎藤幸平氏の「人新世の『資本論』」にたいする読後感などは、私に改めて、批評とは何かを考えさせるよい機会を与えてくれた。ここでいう批評とは、国語の伝統に身を置きながら時代状況をえぐりだし、人間の最深部を私たちに向かって差しだしてくる作品のことである。
斎藤氏のこの著作は、気候変動問題を資本主義との関連で論じたものである。氏はこう述べている。二酸化炭素の急激な増加が地球環境に激変をもたらし、温暖化を後戻りできない地点にまで進めてしまった。永久凍土が溶けだし、大量のメタンガスが放出される。それは凍土に閉じ込められていた細菌やウイルスが現代に蘇ることを意味するし、ホッキョクグマが行き場を失い、サンゴは死滅するだろう。最終的に、人間は超富裕層を除けば平穏な暮らしを奪われてしまい生き延びることすら危ういのだ。では、どうしてこのような状況に陥っているのだろうか。答えは明瞭である。「資本主義」こそが、気候変動問題の諸悪の根源である。では資本主義の特徴とは何だろうか。最も鋭く資本主義の問題点にメスを入れた人こそ、『資本論』の著者マルクスに他ならない。
資本主義に閉じ込められた私たちの生活を、「帝国的生活様式」という。先進国の生活は、グローバル・サウスと呼ばれる南半球貧困国からの収奪で成り立っている。もともと資本主義とは、価値の増殖と資本蓄積のために、絶えず新しい市場を開拓しつづける運動のことである。例えば環境破壊が起きたとしても、資本家の眼からみれば利潤を生みだすチャンスと映る。資本家にとっては公共性の高い水でさえも、カネを生みだす商品にしかすぎず、貧困国で強制するアグリビジネスの農業用水のためならば、たとえ地域住民が飲料水に事欠くことがあっても優先的に使用されてしまう。
私たちが商品を買う理由は、それが生活必需品であるよりも、かっこいいからとか、最先端品を身に着けている優越感のために消費する。つまり資本主義は、新たな欲望を強制的につくりだし、購買意欲を刺激せねばやまないシステムなのだ。
貧者の苦悩はお構いなし?
カネをめぐって、斎藤氏がマルクスの概念で注目するのが、「価値」と「使用価値」の対立である。「使用価値」とは、土地や空気や水のように地球上に潤沢に存在し、あらゆる人に使用を許すような、資本主義以前から私たちの手元に分かち与えられた資源である。これは「富」とも呼び変えられるもので、無料で無制限かつ自由に使えるものである。個人的な所有物ではなく、地域の人、あるいは地球全体の人類がつかえる共有物である点に特徴をもつ。