開通が果たされなかった無念さから一時は“負の遺産”に
かつては、着工を記念したのぼり旗がつくられるなど、地元住民は鉄道が開通することに大いに盛り上がっていたそうだ。それだけに地元の人は2度の工事凍結に挫折と落胆を感じてきた。
「ここまでは形になっているわけですからね。計画段階で中止になったらまだ諦めもつきますが……」(山本隆之さん)
そうした無念さから、鉄道計画が中止になってからの今福線は、いつしか“負の遺産”として、自然に埋もれていたのだという。
状況が変わり始めたのは、1998年に発刊された『鉄道廃線跡を歩くV』で今福線が紹介されたこと、そして2008年になって五連アーチ橋などが公益社団法人土木学会によって「土木学会選奨土木遺産」に認定されたことが大きなきっかけだった。
「さらにきっかけがあるとすれば、久保田章市浜田市長が就任したときに、“浜田のお宝”を地域住民に募集したことですかね。そのときに今福線が上位に選ばれたんです。『市民が選んだお宝なのだから、ぜひ活かそう』というかたちで保全だったり利活用だったりに、より力を入れるようになりました。その頃に島根県技術士会が中心となって、広浜鉄道今福線を活かすシンポジウムが開催されたんです」(山本隆之さん)
さまざまな評価が重なり、これまで“負の遺産”に過ぎなかった遺構の保存活動が徐々に本格化した。
以下の写真は、新旧未成線の橋梁が同時に見られる人気スポットだ。
金田一耕助シリーズのテレビドラマ『悪魔の手毬唄』や映画『天然コケッコー』のロケ地にも使用されるなど、鉄道ファン以外からも、その絶景に対する評価は高い。