「気候的状況」の「積雪」では「北陸道、奥羽西部、北海道などに多大の積雪を見、福井にては積雪の深さ100センチ以下なる日とては1日もなく、9日には実に深さ170センチを観測し、伏木(富山県)にては7日148センチ、金沢にては8日133センチ、網走にては11日103センチを測れり」とした。
このころの新聞には「平地において積雪7尺8寸(約2.4メートル)に達している」「ラッセル式除雪車2台を連結し、2丈(約6メートル)余の積雪突破をなしたるに……」「滋賀県伊香郡・土倉鉱山、積雪1丈5尺(約4.5メートル)に達し……」などの状況が続出。「一家三名壓(圧)死」「遂に工兵隊の出動か」という事態に。恐ろしいほどの“雪魔”の中で惨事が起きる。
高さ250mから幅540mの大雪崩が…
大雪崩襲来 新潟県と群馬の県境 27戸を倒潰(壊)して 157名行方不明
新潟県南魚沼郡三俣村に9日午後11時、大雪崩あり。同村59戸のうち27戸を倒壊し、157名行方不明となり、目下救護中なり(長岡特電)。
同年1月11日付東京朝日(東朝)朝刊は2段でこう報じた。三俣村は現湯沢町。同じ紙面には続報も載っている。
積雪2丈の山間 郡長醫(医)師急行せるも救護は極めて困難
新潟県南魚沼郡三俣村の大雪崩はその後、詳報に接せざるも、同村は同郡役所所在地・六日町より約8里(約32キロ)の山間にて、群馬県との国境清水峠に近く、さる3日よりの大風雪にて積雪20尺(2丈=約6メートル)に達し、通行全く途絶しおれり。9日夜の大雪崩は俗称東今野山頂より襲来せるものにて、同部落の中間なる駐在所を中心として27戸余を埋没せり。急報に接し、六日町警察署よりは巡査7名、郡役所より市橋郡長は書記4名、医師1名を率いて急行したるが、救護容易ならざるべし。県当局にありても、即時救護の手配に着手せり(長岡特電)。
六日町は現南魚沼市。同じ日付の東京日日(東日=現毎日新聞)は「30餘(余)戸倒潰し 159名埋没す 内110名を掘出せしが5名死亡5名生命危篤」の見出し。萬朝報(よろずちょうほう)は「25戸倒潰、村民125名生死不明となり、10日午後までに死体80を発掘す」という「新潟発電」の記事を載せた。
地元紙・新潟日報も「三俣村の頽雪椿事(たいせつちんじ) 人家25戸埋没し125名生死不明」の見出しで、末尾に「三俣村の地勢」を載せている。それによれば、三俣は三国街道の宿場で民家が密集しており、それが惨事に結びついた可能性があると指摘している。「頽雪」とは雪崩のこと。寒気が一時緩んだための雪崩だったようだ。同じ時期に岐阜、石川、群馬の各県でも死傷者を出す雪崩が起きている。
1月12日付国民新聞は「稀有の大雪崩」の見出しで現場の模様を「新潟電報」で伝えている。