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 村の背後で、日本水力電気の水路(隧道=トンネル)工事が進められていた。(昼夜兼行で合図の)ハッパは(作業員)交代の30分前が原則だ。昼夜12時が交代時間だから、雪崩はまさにハッパの時間だったことになる。

 当初より住民側にはハッパ原因説があった。住民は日常的に震動を体感していた。

 一方で「新潟県統計書大正7年」で県の技師はダイナマイトのハッパについて「毎日3回、6個の薬筒を用いて爆破するにもかかわらず、今回の大頽雪を除けば、1回の頽雪をも生ぜざるがごときこの例なり」と指摘。原因は「一陣の大暴風雨、これなり」と“崩落説”を支持している。

「湯沢町史通史編下巻」は各資料における原因説を表にして「諸説対立のままである。今後に決定的な確証が出ない限り、結論を出すのは容易ではない」としている。ということは、ハッパによる“震動説”は住民の間で語られ続けたということだろう。俗説だが、正式な原因究明が行われなかったこともあって“伝説化”したとみられる。

三俣雪崩が発生した山(「湯沢町史通史編下巻」より)

その後も豪雪は続き…

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 その後も豪雪は続いた。次に大規模な雪崩災害が起きたのは山形県の銅鉱山だった。地元紙・山形新聞は1月22日付で「200名埋没 大鳥鑛(鉱)山の大頽雪 飯場等11棟倒壊」の見出しで報じた。

大鳥鉱山雪崩事故の第一報(山形新聞)

 一昨20日午前4時ごろ、東田川郡大泉村(現鶴岡市)地内、大鳥鉱山機械工場の西方山上より大頽雪の襲来あり。6間(約11メートル)に14間(約25メートル)の飯場6棟その他、全壊3棟、半壊2棟、合計11棟倒壊し、同所に居住せる坑夫その他約200余名、雪中に埋没し、目下人夫250余名を繰り出し、発掘中なるも、大半は死を免れざるべく、急報に接し、本県保安課より佐藤警部、昨日同地に向け出張せり。同鉱山は古河鉱業会社(現古河機械金属)の経営に係り、昨今の使役人員は坑夫、雑役夫その他、家族を加え1130余名に達し、飯場の棟数も50以上に達し、今回頽雪に遭える機械工場付近の飯場は、事務所より約1里半(約6キロ)を隔たり、請願巡査駐在所、医務局などの設置も同所にあれば、これらの安否いかんはいまなお不明なり。しかして同鉱山は西田川郡鶴岡町(現鶴岡市)をさる西南方上約13里(約52キロ)の山中にて、同町より上田沢部落に至る約8里(約32キロ)の道程は車馬の便あれど、同部落先は全くの山道にして徒歩のほかなく、ことに昨今は積雪深く地上既に1丈5尺(約4.5メートル)に達しおる状態なれば、救護隊の出場もひとかたならず、困難を感じたるものならん。