10代のころから歌舞伎町に出入りし、フィールドワークと自身のアクションリサーチを基に「歌舞伎町の社会学」を研究する佐々木チワワさん。
2021年12月には、歌舞伎町やZ世代のリアルを著者自身の実体験と寄り添う取材で書き上げた現代若者論『「ぴえん」という病 SNS世代の消費と承認』(扶桑社)を出版し、話題を呼んでいる。そんな彼女に、混迷の時代を生きる“ぴえん”な若者たちのリアルを聞いた。(全2回の2回目/前編を読む)
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推している自分の存在に意味がある
――本書でも「推しカルチャー」について触れられていました。「好き」と「推し」の違いって何でしょうか。
佐々木 好きって相手のことが好きな状態を指しますよね。「推し」は、その人を推している自分の存在に意味があるんです。
オタクもそうじゃないですか。その人が好きというアイデンティティで、オタク同士が繋がることができる。同担(推しが同じ人)の中でマウントもとれる。「推し」にいくら使うか、「推し」のためにどこまで行けるかで競い合う。「推し」ってライバルがいることが前提なので、「恋愛」とはちょっと違うよねって。
推しの原点を辿ると、クラスのマドンナに行き着く気がします。高嶺の花のような子に憧れる経験ってあると思うんですけど、あれって自分のものにしたいというよりは、自分には近づけない存在だけど、遠くから応援だけしておきたいんじゃないですか。まさに「推し」と同じなんですよ。
それに「推し」って逃げの言葉でもあります。いわゆる「ガチ恋」だと「お前ごときがあんな高嶺の花を好きって正気かよ」ってバカにされてしまうこともあるけど、「推し」だとそれがない。だって所詮、推してるだけだから別にいいよねって。付き合いたいわけじゃないしって。
――なるほど。とても便利な言葉ですね。