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山田のプライドは叩きのめされた

 ソ連は苦戦しながら勝ち進んで来たため、世論は圧倒的に日本が有利と目していた。

 しかし蓋を開けてみれば、男子ばりのパワーバレーに1−3で日本はあっけなく屈した。ソ連は決勝まで、秘策を隠していたのだ。山田の戦略は、ギビの戦略にひねり潰された。

 山田の受けた屈辱は生半可なものではなかった。

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 ギビ監督の試合後のこんなコメントも、山田のプライドを叩きのめした。

「日本に勝つためにやれることはすべてやった。日本の弱点を洗い出し、たとえばサイドから斜めに打つことや、ブロックをかわす術など。今日の試合中もタイムを取ったときに、日本の弱点を分析して作戦を立てた。それが勝因だ」

 山田は、選手間の闘いというより監督の力量差で負けた、とはっきり感じ取った。

 かつて山田が目をギラつかせ語ったことがある。

「あの敗戦の屈辱が、私を片時もバレーボールから離れられなくしてしまった」

インタビューに応じる山田重雄氏 ©文藝春秋

 8年後のモントリオール五輪で活躍した白井貴子からも、以前こんな話を聞いた。

「山田さんが、メキシコ五輪でソ連に負けたその日、一晩で黒髪が真っ白になったそうです。確かに私も選手時代、山田さんが洗面所で毛染めしているのを偶然に見てしまったことがありました。それくらいメキシコ五輪で負けたことが、山田さんにとっては耐え難い屈辱だったんだと思います」