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 2020年3月に小学校を卒業した後も準奈さんは担任だった女性の先生と文通を続けていたが、卒業から4カ月が経った7月には、遺書を書くほどに追い詰められていたことになる。しかし結局その遺書は、先生に送られることなく机の中でノートに挟まったままだった。

小学校の卒業式での準奈さん

「遺書を見つけたときは動悸がして、なかなか開くことができませんでした。それでもせっちゃんが残してくれた言葉なので、勇気を出して何度も何度も読み返しました。きっとせっちゃんは、この遺書を出したら大事になってしまうと思って先生に送ることも私たちに相談することもできなかったのでしょう。遺書の裏の2020年7月6日という日付を見て、中学に入学してこんな早くから“死にたい”と考えていたのかと驚き、『気づいてあげられなくてごめん』という気持ちでいっぱいになりました」(同前)

「うれしくてガッツポーズする人もいるかもね」

 準奈さんが亡くなってから半年間、両親は準奈さんの遺品を整理することがなかなかできずにいた。しかしこの遺書を発見したことで「もしかしたら他にも何か残されているかもしれない」と机の周りを改めて丁寧に探すと、メモ書きされた小さな紙がもう1枚見つかった。日付は明記されていなかったが、これもまた自らの死を想定した“遺書”と言える内容だった。

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《たぶん私は今日死んだ、車にひかれて。みんな泣くかな(中略)もしかしたら、うれしくてガッツポーズする人もいるかもね。私の自殺のげんいんは、べんきょう、友だち、れんあい、バレー、全部です。もう本当にくるしくて、死にたくなっちゃった。私をひいてしまった人は、本当にもうしわけない。そのばあいは、誰かこの手紙を見せて、そうすればこの人の罪は少しかるくなるかもしれない》(一部抜粋)

日誌には「SOS」にも見えるコメントが

 父親が後悔の念を口にする。

「車に飛び込もうと思うくらい追い詰められている時まで、自分を轢いてしまった人のことを考えているせっちゃんに涙が出ました。結局学校で飛び降りることを選んだのは、他人に迷惑がかからない場所ということだったのかもしれません。学校にはすぐに報告しました。たった1人で、足がすくむほどの4階という高さから身を投げるなんて。怖かっただろうに……。せっちゃんを助けたかったです」