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 膨大な情報が集まった。福岡署の1人の刑事は、現場近くの木賃宿に「小倉の洋服商」を名乗る男が事件前後に宿泊し、たびたび外出していたことに着目。調べてみると、該当者はおらず、偽名と分かった。

 別の刑事は遺留品のはばきからの割り出しに尽力。最近研いだ跡と小さな擦り傷があることに目をつけて当たったところ、福岡市内の研ぎ屋から「自分が頼まれて研いだ」との証言が得られ、持ち込んだ男の人相、風体が割れた。「小倉の洋服商」と一致することは分かったが、情報はそこまで。

「洋服商」を追っていた刑事は福岡・新柳町遊郭になじみの娼妓がいることを聞き込み、本人に問いただすと、「事件のあった翌26日にその男は来たが、そのとき右手に包帯をし、純金の腕時計を持ち、遠くへ行くからしばらく会えないと言ったという。当時、純金の腕時計はよほどの貴婦人か外人しか持っていなかった。それは被害品の特徴に一致する」(同書)。

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 これで「洋服商」の男の容疑が確定的になった。東日によれば、女のところに来たのは3回目で、ほとんど口をきかず陰気だったという。

写真屋に容疑者の写真が!

 やがて彼女に男から手紙が届いた。福岡日日の彼女の証言では「3月の初め」という。「津屋崎(現・福津市)より」と書いてあったため、刑事が片っ端から付近の旅館を臨検したところ、1軒に宿泊していたことが判明したが、既に立ち去った後だった。

 しかし、質屋に当たった結果、被害品の金時計を発見。町内の写真屋の表看板には、男がその金時計を持った写真が掲げられていた。刑事はあきれたが、写真から菓子職人だった田中徳一の身元が割れた。

 そして、菓子屋を当たっているうち、小倉のパン屋に3月から職人として働いていることが分かったという。田中には犯罪歴があり、警察に指紋も残っていたが、該当しなかったのは、指紋の凸部ではなく、凹部に残った血液による「逆指紋」だったと判明。「世界最初の逆指紋の例」となった(「福岡県警察史」)。