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連載大正事件史

夫を追って日本へ…ドイツからやってきた美人令嬢に待っていた“暗転”の瞬間

大戦の陰で起きた悲劇の「イルマ殺し」#2

2022/02/06

 当時日本と交戦中だったドイツの海軍大臣の娘が殺された1917年の「イルマ殺し」事件。微妙な国際的背景におかれることになったため、事件の新聞記事の掲載を差し止めるなど、日本政府には動揺が走った。

 なんとか執念の捜査で犯人は捕まり、報道が解禁されると、夫婦の悲劇は愛の美談として世間に広まった――。

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「彼女は背が高くすらりとした美人だが…」

 報道が解禁された4月10日付各紙には夫妻の出自も載っている。東日を見よう。

 名門の出なる ザルデルン夫妻=イルマは不評判の女

 ザルデルン夫妻はともに名門の出で、ザルデルンの父はドイツの参謀総長だったこともある。また、イルマは元ドイツ海軍大臣の娘にて美人の評判高く、夫が青島開城と同時に日本に俘虜となると、跡を慕って日本に来たもの。彼女は自分がドイツの名門の出なのを鼻にかけ、日本人を「黄色い小猿」と侮り、寄留届なども容易に差し出さなかった。その筋から数回説諭を受け、持て余されていたこともあった。家庭経済については口やかましく、出入り商人を困らせ、極めて不評判の女だったという。

 こうした人物評価は他紙にも見られる。時事新報は「なかなか傲慢の風あり」と記述。4月11日付東朝も「彼女は背が高くすらりとした美人だが、やや驕慢のふうがあり、雇い人や近所の人からよく言われず、素行がおさまらないとの評判があった」と書いている。

1カ月の生活費は100万円超!?

 同紙には、1カ月の生活費が400円(現在の約108万円)とも。気が強く、自己主張が激しかったうえ、「捕虜の妻のくせに」という視線もあったのだろう。黒田静男「地方記者の回顧(大正時代 月曜附録から学芸欄の創設)」には「若くて美しい異邦の女性はゴシップのタネにもなっていた」ともある。しかし、それだけではなかったようだ。

なぜ彼女は日本に来ることになったのか

 1914年7月に始まった第一次世界大戦に日本が参戦したのは同年8月。主戦場は遠いヨーロッパだったが、当時結んでいた日英同盟の信義を守り、日本の地位向上を図るのが目的とされた。しかし実体は、アジアと太平洋でドイツが持っていた権益の獲得と、日露戦争の結果として得た満州(中国東北部)の権益問題に決着をつけるのが狙い。

 唐突な参戦で、「元来紛争の当事国でない日本が参戦したプロセスには強引なところがあったのは否めず」(奈良岡聰智「第一次世界大戦と対華二十一カ条要求」=筒井清忠編「大正史講義」所収)、という。

 福岡県・久留米市で編成された陸軍第18師団は9月2日に中国・山東半島北岸に上陸。進撃を続け、1914年11月7日、膠州湾口のドイツの租借地・青島要塞を陥落させた。

青島陥落の祝賀紙面(九州日報)

「開戦の当初より、敵は決死防戦の意思を有しなかった」

 日露戦争従軍体験を描いた「此一戦」で知られる海軍大佐・水野廣徳は「大正戦役史」(「明治大正国勢史第2巻」所収)で「欧州本国の戦局に何ら重大なる影響なく、かつ早晩陥落の運命にある青島要塞を死守するため、これら有要の人物を犠牲とするは、ドイツ将来の大局上得策にあらずとの見地に基づき、開戦の当初より、敵は決死防戦の意思を有しなかったということである」としている。

 日本では各地で「青島陥落」の提灯行列や祝勝記念の大売り出しが行われるなど、さまざまな祝賀行事が盛大に行われた。