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〈イクメンブームへの疑問〉そう簡単に「休みます」とは言えない…“育児ができない父親”が抱える“無視されがちな事情”に迫る

『イクメンの罠』より #1

2022/02/17
note

報道の都合の良い側面だけを見ないことが大切

 今以上に国が旗を振り、「ブーム」が高まれば、何が起きるだろうか。事情があって「育児ができない父親」やその妻が、自分たちは親失格だと自信喪失してしまわないか。家族のために必死に働いている父親が、肩身の狭い思いをすることにならないだろうか。あるいは、子どもを持つことを最初から諦めてしまわないか。であれば、本末転倒だ。このようなことを非常に危惧している。

 父親が育児を担うのが望ましいのは当然のことだ。だが、私自身の経験から言っても、その分担の仕方は夫婦の個性に応じてさまざまな形があり得るはずであり、「育休を取る」「母親と同じだけの時間関わる」「何でも平等に」など、一定の形を強いるような社会の力が働くとしたら、それは非常に不健全なことと言わざるを得ない。

どうするのが自分たちにとってよいか

 ともすると個々の事情を無視して「みんな一緒でなければ」といった同調圧力に屈しがちな私たち日本人は、とくに注意が必要である。コロナ対策をみてもわかるように、自分の都合で動く多くの国の人々と違って、自己規制の強い日本では自粛で何とかなってしまうところがある。そういうことを言われても自分はこうしたいのだといった自己主張がしにくい。その良い面もあるのだが、ときに個人が苦しい状況に追い込まれてしまう。

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 また、メディアは「海外ではこうだから」と、その時々の記事や番組に都合のよい情報だけを流す傾向がある。たとえば、北欧の国々の育休制度の充実ぶりを熱心に報じるが、アメリカでは男女とも育休がほぼ認められていないことは伝えない。大事なのは、進んでいる、遅れているという話ではなく、どうするのが自分たちにとってよいかだ。