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サイゼリヤに罪はないぞとなると

 当のイタリア人たちからも高評価で、食べる日本人も安くて美味しいと思っているのだから、とりあえずサイゼリヤは大人気であり無罪であるというのは大前提となるわけですが、2019年にITmediaねとらぼで山下ラジ男さんが火事で焼失したサイゼリヤ1号店の記事を書いておられ、サイゼリヤの人気にも歴史ありということを感じさせてくれるわけですよ。

サイゼリヤ1号店で20年モノのサイゼリヤワインを飲む
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1906/01/news008.html

 本件テーマにおいてサイゼリヤに罪はないぞとなると、男女が交際するにあたり男性が女性を家庭的な安いお店にデートで連れていくことの是非へとつながっていきます。これが例えば餃子の王将だとかすき家とかスシローだったらどうだったのか、という話にも派生していくわけです。初デートをするのに松屋のカウンターで若い男女が並んで味噌汁をすすっているという逸話があったとして、それを友人としてどう評価するべきか。

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 特に女性にまつわる話題で、ブランド力と価格に強くこだわる人が多いようにも思うわけなんですよ。そもそも無料な「デートで公園を散歩」は完全に許される一方、安いチェーン店で女性と食事をして喜んでもらう前提の男子けしからんというのは、フェミニズム以前の問題なんじゃないのかなあとも思います。

まあ結局は恋の形なんて人さまざま

 好きな人とめぐり会って結婚した経緯を振り返って思うのは、本当に相性の良い人との出会いがあったのならば、とにかく会ってともに時間を過ごし、おしゃべりしているだけで幸せを感じるものです。そこにサイゼリヤもドトールもないわけでして、お互いの感情を確かめ合ったり、二人で過ごす中でどう心を通わせて価値観を揃えていくかってことが大事だと思うんですよね。

©iStock.com

 そういう人だと確信できたら結婚するのも自由恋愛のひとつの結果です。逆に、相手が高級なレストランや凄い見晴らしのラウンジといったおもてなしを続けてくれる人でないと振り向かないからと背伸びし続けたところで、本当に結婚して、人生の大切な少なくない時間を夫婦として暮らすときに、そんな刺激的なシチュエーションを維持できるかっていうと無理じゃないですか。

 結婚記念日とか誕生日とか、節目節目に思い出の店に足を向けたり、出会いから交際、結婚までの思い出話に花を咲かせるときに「あの店良かったね」とか「あの辺にまた行ってみようよ」などと夫婦で瞳を煌めかせながら話し合えればいい。

 それであるならば、ネットで何かと叩かれがちな4℃のような若者向けアクセサリーだって、本当に愛が重ねられるのならば、10年後に手を取った人と大事にしまった4℃を取り出してきて思い出にすればいいわけですから、まあ結局は恋の形なんて人さまざまなんだろうなあと思います。