2000年代、“エロテロリスト”としてグラビア界に登場し、一世を風靡したインリンさん(46)。しかし、子供時代はとても厳格な家庭で育ち、デビュー前に「ビキニなんて着たことがなかった」とのこと。そんなインリンさんはいつ、どのように「セクシー」に目覚め、グラビアモデルとして開花していったのでしょうか――。
当時は「インリン・オブ・ジョイトイ」として活動していましたが、2016年からは芸名を「インリン」に。結婚後は故郷・台湾で暮らしている彼女に、1995年のデビューから現在まで、どんな世界を見てきたのか伺いました。(全2回の1回目/後編に続く)
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――インリンさんは10歳のときに、ご家族で台湾から日本にいらっしゃったんですよね。
インリン そうですね。そこからはずっと日本に住んでいたんですけど、今は台湾に戻って、夫と子どもと一緒に暮らしています。
――インリンさんといえば、大胆なグラビアやバラエティー番組での印象がとても強いのですが、そもそも芸能界に入ったきっかけは何だったのでしょうか?
インリン もともとはアルバイトみたいな感覚で、ファッション誌でちょこちょこ読者モデルをやっていたんです。モデルの仕事に憧れていたので、短大生の頃、自分で応募して。綺麗な格好をして、写真を撮ってもらうのが大好きだったんです。
――その流れでグラビアの世界に?
インリン そのときに、「ジョイトイ(※)」のユニットを組むことになるカメラマンの方と知り合いまして。その方がちょうど、中華系の女性モデルを探していたんです。それで、台湾出身というところを気に入ってくださったようで、「インリンでやってみよう」みたいな。そこから「インリン・オブ・ジョイトイ」として、グラビアをやるようになりました。
※かつての芸名にもなっていた「ジョイトイ」とは、インリンさんがそのカメラマンと結成したユニット名のこと。2016年に「ジョイトイ」から脱退したため、現在は「インリン」として活動している。
「スクール水着しか……」
――読者モデルの頃は、やっぱり綺麗なお洋服を着て、カフェで……みたいな撮影が多かったんでしょうか。
インリン そうですね。
――それがグラビアを始めたら一転、「エロテロリスト」に。かなり大きな変化ですよね。
インリン ジョイトイのユニットには世界観があって、セクシーでカッコ良くて、自立した女性というのがテーマだったんです。それを写真や映像で表現しなきゃいけないんですけど……でも、当時の私はセクシーの欠片もないというか、セクシーが何なのかも本当に“はてなマーク”で。それくらい、すごく厳しい家庭で育ったんですね。
考え方も古風なおじいちゃん、おばあちゃんと、3世代一緒に住んでいて。ちょっとスカートの丈が短くて、膝より上だったら家から出してもらえないとか。水着もビキニなんて着たことがなくて、本当に、スクール水着しか着ていなかったんです(笑)。
――そこからいきなりグラビア撮影に?