文春オンライン

「げそ天」1日500食、顔は小泉純一郎似…業界の超重鎮「ミスター立ち食いそば」が、八丁堀の名店を救った話

1978年創業「そばのスエヒロ八丁堀店」が営業再開

2022/03/01
note

 確かに立ち食いそば屋は事業継承が難しい。一代で店を大きくしたところも多い。身内にはきつい仕事は継がせたくないという店主も多い。「そばのスエヒロ八丁堀店」もその典型例といえるわけだ。しかし、幸いにも店再開のニュースが入り、常連ばかりではなく立ち食いそばファンの間でも大いに歓迎されて、再開を楽しみにしていたわけである。

 さて、店は2月19日午前7時開店という情報が入ってきた。はやる気持ちをぐっと抑えて、混雑が落ち着く頃を見計らって午前10時頃に訪問してみることにした。店に近づくと暖簾が揺れていた。恐る恐る店に入ると、そこには見覚えのある顔と声の持ち主が客をさばいていて、「ああっ」と不覚にも声を上げてしまった。

 

 厨房にはなんと立ち食いそば界では超有名な重鎮の方がいたのである。顔は小泉純一郎似、頭にはバンダナをかぶり、「ありがとう存じます」と独特のセリフを発声している。そうである。この方は日暮里にある「一由そば」の創業者の小森谷守さんだったのだ。

ADVERTISEMENT

小森谷さんは「げそと会話する男」

 小森谷さんは、若かりし頃は喫茶店のウエイターをやり、秋葉原の「都そば」で働いたこともある。その後、「六文そば日暮里1号店」で勤め上げ、「六文そば」の歴史を体感してきたわけである。その後、駅前の再開発を契機にスピンアウトして「一由そば」を2008年に創業した。「一由そば」ではコロナ前の繁盛期に、げそ天を一日に500食以上売り上げていた。その仕込みや大量にげそ天を揚げるノウハウは、この小森谷さんが編み出したといわれている。それで「げそと会話する男」ともいわれ、そのキャリアから「立ち食いそば業界を生き抜いてきた伝説の男」「ミスター立ち食いそば」とも呼ばれていた。2018年頃、「一由そば」経営の第一線から退いていた。突然店からいなくなったので「小森谷さん(コモリン)に会いたい」という常連も多かったようだ。現在72歳。本当に頭が下がる。

 いやはや驚いた。久しぶりの再会に気が動転していたが、少し落ち着いたところで状況を把握するために、「げそ天ピーマン天そば」(490円)を注文しながらいろいろ質問してみることにした。

手際よく働く小森谷さんに質問してみた

――なぜ小森谷さんがここに?

小森谷:事業を継承した方から「店を手伝って欲しい」と相談され、俺もまあそういわれちゃうとどうしても断れないからさあ。ノコノコと出てきちゃったわけですよ。とにかく、個人店が店をタタムって話が最近多いしね。ここの話も聞いてもったいないと思ったし、そういう個人店を応援したいと常々思ってたからね。