大衆そば屋にあって老舗ではほとんどみかけない具材をこれまでいくつか紹介してきた。「コロッケ」「春菊天」「げそ天」「(魚肉)ソーセージ天」などである。ところで、実はもう1つ忘れてはならない具材がある。「紅しょうが天」である。

大衆そばメニューの紅一点「紅しょうが天」

「紅しょうが」が誕生したのは関西

「紅しょうが天」の話の前に紅しょうがについて簡単に触れておこうと思う。そのルーツは関西である。和歌山県を含む紀伊半島西側では、梅の生産が昔からダントツの日本一。夏の終わり頃、梅干しを作る際に大量の赤紫蘇入りの梅酢ができる。この梅酢に、これまた近隣で夏季に収穫されるしょうがの薄切りを干して漬けたところアントシアニンの赤い色に染まり、大人気の保存食となって関西地域に定着した。

 それが食文化の中心地である大阪の料理人の目に留まり、天ぷらや串揚げの具材となって人気が華開いたわけである。ただ、いつそばやうどんのトッピングになったのかは定かではない。大阪ではソースをつけるのが通例で、家庭でもおやつや酒のつまみとして食べることが多かった。そんな大阪の日常生活の中で、自然発生的にそばやうどんにのるようになったと私は考えている。

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「紅しょうが天」は大阪のてんぷら総菜屋やスーパーでは人気の天種である

大阪で誕生し、東日本へ

 一方、関東ではお好み焼きや焼きそばの薬味として千切りにされた紅しょうがが使われることはあったが、あくまで薬味。しかし、昭和のバブル時代に入る頃、東京では串揚げがブームとなった。串揚げといえば大阪が本場。そんな流れで東京の大衆串揚げ屋に紅しょうがが登場したと推測する。立ち食いそば屋でもちょうど同じ頃、登場した。「六文そば神田須田町店」の女将さんに伺うとバブル前には販売していたという。「一由そば」の創業者小森谷氏も1980年代中頃には「六文そば日暮里3号店」にはあったと証言している。その後、「名代富士そば」でもいち早く「紅しょうが天」を販売した。しかし、日常食の延長にある「紅しょうが天」は高級天ぷら屋や老舗そば屋ではほとんどお目にかかることはない大衆の食材となっている。