立ち食いそば・大衆そばを語る上ではずせないのは、やはりそばに載せる天ぷらの食材がユニークなところだ。
老舗や暖簾会系のそば屋なら、えび天を載せた天ぷらそばが最高のごちそうということになる。ところが、関東の立ち食いそば屋ではえび天はどちらかというと脇役的な位置づけになっている。
その理由は値段が高くなってしまうからだ。おいしいえび天そばを食べるのなら、老舗の店に行けばいいと考えている人が多いのだろう。立ち食いそば屋ではむしろ、安くてうまい食材の天ぷらが人気となることが多い。
ゲソ天はムラサキイカにかぎる
そんな立ち食いそば屋で人気な天ぷらの食材を紹介しよう。老舗のそば屋でほぼ使っていない大人気なものがある。ゲソである。
スルメイカやヤリイカなどのゲソはゲソバター炒めや湯引き、ゲソ焼き、天ぷらなどとして居酒屋の人気メニューとなっている。そのメニューが立ち食いそばに利用されたというわけだが、自分がハマっている立ち食いそば屋で人気のゲソはヤリイカ系のゲソではない。ムラサキイカのゲソである。
神田須田町や中延などにある「六文そば」、日暮里駅北側にある「一由そば」、市川駅南にある「鈴家」ではこのムラサキイカをゲソ天に使っているのだ。これはアカイカの一種でかなり大きなイカで、ゲソの太さはまるでタコに近い。ムラサキイカのゲソは居酒屋でもお目にかかることはまずない。
このムラサキイカのゲソ天に出会ったのは、1985年頃に八重洲にあった「六文そば」である。
「六文そば」は当時、都内各所に店舗があった。三越前、日本橋、築地にもあった。
店内には、天ぷらがぎっしりショーケースに並べられていて、お好みの天ぷらを注文するスタイルである。
そこにゲソ天があったのだ。早速、ゲソ天そばを注文した。すぐに茶色くカリカリになったかたまりのゲソ天が、濃いつゆと太めのそばの上に載って登場した。そのゲソ天は香ばしく、噛みごたえ十分な太さと大きさで驚いた。それ以来、ゲソ天のトリコになったわけである。
築地でも当時から、イカゲソは人気のない安い食材だったというし、今でもムラサキイカのゲソなどは注目もされていないはずだ。豚肉のホルモンのような存在だったのかもしれない。このムラサキイカのゲソでゲソ天を作った人は天才だと思う。
「ゲソにどうして欲しいか、いつも聞いているんだ」
その「六文そば」から定年を機に独立して、「一由そば」を開業したのがゲソと会話する男と言われている小森谷守さんだ。今年70歳になる。
小森谷さんは若い時は今はない秋葉原の「都そば」で働いていたそうだ。その後「六文そば」に行き、2008年「一由そば」を開業し現在に至っている。
ゲソ天を作るのは今も至難の業だと小森谷さんは言う。外洋で捕獲されたムラサキイカは大きなブロックに冷凍されて店に配送されてくる。そのブロックを一晩かけて冷蔵庫で解凍して、適度な大きさにカットする。それに小麦粉をまぶしてかたまりを作り揚げていくという。
「ゲソを揚げるときは水分がはじけて火傷をしてしまう」というから、危険な作業だ。「でも、そうして揚げたゲソが香ばしくうまい。これがないと商売が成り立たない」と小森谷さんは熱く語る。
ゲソ天は単品で110円! ゲソ寿司は80円!
「一由そば」では、通常のゲソ天(110円)だけでなくミニゲソ天、ジャンボゲソ天(140円)などのゲソメニューが並ぶ。カリッと揚ったゲソ天は「一由そば」の代名詞で、注文の半数位になっているという。そばの普通盛りは1玉220円だから、通常のゲソ天そばは330円である。
「ゲソにどうして欲しいか、いつも聞いているんだ」と小森谷さんはつぶやく。さすがだ。会話した結果、「ゲソ寿司」と「ゲソいなり」もメニュー化して、密かに人気となっているという。
「ゲソ寿司」(1個80円)はゲソ天を細かく切って、紅ショウガと酢飯をまぜたシャリに載せて押した押し寿司で、その材料をいなりにしたのが「ゲソいなり」である。10~20個とまとめ買いする常連も多い。
散歩がてら入った立ち食いそば屋で、変わった食材の天ぷらなどに出会うのもまた楽しいものである。ゲソ天以外にも「うまい・安い・面白いメニュー」がたくさんあることにきっと驚くに違いない。
六文そば中延店
東京都品川区中延4-6−18
営業時間
7:00~21:00(月~金)
7:00~18:00(土祝)
7:00~14:00(日)
一由そば
東京都荒川区西日暮里2-26-8
営業時間
24時間(年始以外無休)
写真=坂崎仁紀