――参議院議員の任期は6年。その間、連載は難しいんじゃないですか?
赤松 いま立候補せずに新規に連載をはじめれば、もう1本くらいは、まだ「赤松ブランド」でアニメ化までいけるかもしれない。
でも、もう28年もやっているので、そろそろ「やりきった感」はありますよ。「少年マガジン」の連載陣で私より年上なのは、森川ジョージ先生だけですもん。週刊少年誌に描くのは、やっぱり若い作家がいいんじゃないでしょうか。いまだったら『東京卍リベンジャーズ』の和久井健先生とか、才能のある若手がいっぱいいます。
「ここは俺に任せろ、先に行け」精神と“日本マンガの未来”
――もうマンガは描かない?
赤松 いや、それはないですね。赤松スタジオのスタッフはそのまま維持していますから、なんらかの形で創作物を出すつもりです。
政治活動を紹介するマンガも作りました。これは私のビラなんですけど、カラーで4コママンガを描きました。政治のビラなんてあまり興味を持ってもらえないものですけど、これはすごく手に取ってもらえますよ。
――マンガ家の参院選立候補として有名なのは、1982年に本宮ひろ志先生が出馬を表明し、その過程をルポ形式で描く作品『やぶれかぶれ』を「少年ジャンプ」に連載(1982年31号~1983年8号)したことがあります。
作中で「週刊文春」が批判されている箇所もあるのですが……、当時は手塚治虫先生が「それより、後世に残るような傑作をかくべき」と出馬に反対していました。赤松先生に対しては、ほかのマンガ家の反応はどうですか?
赤松 どちらかといえば「(表現規制への抵抗は)赤松がやるから任せておこう」と丸投げされてきた感はあります。そのせいか特に立候補に反対する同業者もおらず、40年前とは時代が変わったと思います。
ただ、みんなは「赤松先生の思うとおりにやってください」とか「頼りにしてます」と言ってくれますが、本当はどう思っているのか不安になることもあります。
――「必要性は感じているが、俺はやりたくない」と。
赤松 言い方は悪いですが、そういう側面はあるかと思います。でも、あえていえば「いま売れている人」はそれでいいんですよ。
いったん私が持ちこたえる間に、日本の文化を守ったり発展させたりして、でもそれなりに執筆活動に満足したり、ある程度やりきったら手伝って欲しい。「ここは俺に任せろ、先に行け」じゃないですが、しばらくは私が頑張るので、いずれは後に続く人が出てきて欲しいです。
とはいえ、私も結構な歳になりました。『やぶれかぶれ』では、作中で本宮先生が銀座のクラブに飲みに行って、さいとう・たかを先生と石ノ森章太郎(当時・石森)先生に色々厳しい忠告をされるシーンがあるんですけど、いまの私は、当時のさいとう先生と石森先生よりもかなり年上なんですよね。