奇声をあげる選手たち

 気でも違ってしまったのだろうか――。そんな思いが胸をついた。

 2000年6月、シドニー五輪の世界最終予選が行われた東京・千駄ヶ谷の東京体育館は、喪失感に包まれていた。前試合で、クロアチアがイタリアを下してシドニー五輪出場の最後の切符を手にしたため、日本のシドニーへの扉が目の前で閉められてしまったからである。

 それでも、会場を埋め尽くした1万人近い観客は、誰一人として席を立とうとしない。それどころか消化試合となってしまったこれから始まる対韓国戦に、あらん限りの応援をしようと選手の入場を待ちわびていた。

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 そんな時である。選手の控え室から甲高い笑い声が聞こえた。

「ガハハハハ」
「ハッハッハッーッ」

 64年の東京五輪でバレーボールが五輪の正式種目になって以来、女子バレーは日本のお家芸として連続出場を果たしてきたが、その栄光の歴史が、今、途切れた。事実の重みに耐え切れなくなってしまったのか。

 私は彼女たちの方へ近づくため、歩を進めた。

 すると笑っていたと思っていた彼女たちは、目を腫らしながら顔をくしゃくしゃにしていた。しゃくり上げながら笑っている。笑うことで、沈んでいきそうな自分たちを懸命に奮い立たそうとしていた。

 24歳の小さなエース・大懸(現成田)郁久美が奇声を上げる。

「おりゃあ!」

大懸(成田)郁久美さん(左)と杉山祥子さん(右)

 それを合図に12人の戦士たちは円陣を組む。お互いの呼吸を確かめ合うことで、大きな黒い塊となって押し寄せる不安、屈辱、悔しさに必死に立ち向かおうとしていたのである。

 その前日、葛和伸元率いる全日本は3勝2敗でクロアチア戦を迎えた。この試合に勝たなければ、シドニー五輪の切符を自力では獲れない。1セット、2セットを日本が獲り、3セット目はクロアチアが奪った。迎えた4セット目。21−17になった時点で、誰もが日本の勝利を信じた。25点マッチのラリーポイント制で、この点数差が逆転されることはまずありえない。日本の五輪出場の切符は確約されたかに見えた。

 コートサイドで檄を飛ばす葛和の口の中はカラカラだった。

「この時点で勝てると思った。しかし、2点を追い上げられて21−19になったところで『やべえ、負けるかも』と思ってしまった。勝てると思わなければ、負けるという考えも起こらなかった。勝負は残酷です。究極の場面で人間の度量が浮きぼりにされました」