昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

連載日の丸女子バレー 東洋の魔女から眞鍋ジャパンまで

2022/03/12

source : 文藝春秋

genre : スポーツ

「監督にも修業がいるな」

 全日本を3年間率い、国際大会を何度もこなしてきたが、身体から水分がなくなってしまったのではないかと思うほど緊張したのは初めての経験だった。

 選手たちも同じだった。21−17になったところで勝てると思い、その瞬間、コートに隙が生まれた。勝負の瀬戸際で攻めることを忘れ、守りに入ってしまったのである。

 葛和は19点まで迫られたところですぐにタイムを取り、選手に指示を出した。前衛のレフトは熊前知加子、センターに森山淳子、ライトが満永ひとみだった。

シドニー五輪最終予選時の森山淳子氏(左)、板橋恵(中)、熊前知加子(右) ©文藝春秋

「熊前はレフトの平行トスを呼べ。森山はライト打ちが得意だから片足でライトに流れろ。満永はライトからセンターの時間差に回れ。それで、竹下は満永にトスを上げろ」

 選手たちは、葛和の指示通りに動いた。しかし、満永の移動攻撃は拾われた。当然である。冷静さを欠いてしまった葛和は、勝負の場面で意外性の無い定石の指示を出してしまったからだ。

 大事なところでは、真ん中から切り込んでも相手のブロックが寄りやすい。下手すれば3枚ブロックがつく可能性もある。最もポイントに結びつかない指示を出してしまっていた。

「満永が100パーセントの力で打ってくれたら決まっていたかも知れない。でも、満永も僕と同じように『失敗は出来ない』という潜在意識が働いて、7割ぐらいの力で打ってしまった。あの場面での攻撃の正解は、森山にブロードを打たせることでした。でも、向かいに193センチの主砲・イエリッチがいるので怖かった。あの一本でオリンピックに行けなくなってしまったんです。つくづく思いましたよ、監督にも修業がいるな、と。僕はあの場面で動じてしまいました」

z