「江藤は多治見の気持ちを背負ってコートに立て」
シドニー五輪最終予選の3カ月前、メンバーを再招集するにあたって、葛和は逡巡した。
甘くて脆かったチームをここまで引き上げられたのは、多治見の陰のサポートがあったからだ。多治見をシドニーに連れて行きたい。だが、コートに立てない以上、苦渋の決断をせざるを得なかった。葛和はリベロの津雲と江藤を呼び告げた。
「主将は津雲、コートキャプテンは江藤だ。これからは2人で協力してチームをまとめてほしい。しかし、キャプテンマークは江藤が付けろ。江藤は多治見の気持ちを背負ってコートに立て」
同級生の多治見と江藤は、ユース、ジュニア時代からの仲間だった。日立のチームメイトでもある。江藤は、葛和ジャパンで多治見が主将として苦しむ姿を目の当りにしていた。
だからこそ、葛和の言葉に涙が零(こぼ)れた。
「キャプテンマークが20倍くらい重く感じました。麻子(多治見)のためにも絶対にシドニーに行かなきゃと腹をくくったんです」
怪我人はセンターの3人ばかりではなかった。エースの大懸は足首4箇所に疲労骨折が判明。セッターの板橋恵は不調――6月の最終予選まであと3カ月しかなかった。
頭を抱えた葛和は、バレーボール協会の若くて高身長というミッションを土壇場で無視し、自チームのNECから竹下、高橋みゆき、杉山祥子を急遽、招集した。彼女たちはその年のVリーグで、1セットも落とさず完全優勝を果たしたNECの主力メンバーだっただけに、誰にも文句を言わせないと思った。