昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

連載日の丸女子バレー 東洋の魔女から眞鍋ジャパンまで

2022/03/19

「まさか、竹下を使うんじゃないだろうな」

 だが、結局、バレー関係者からは横槍が入った。当時21歳の高橋や20歳の杉山は全日本で闘った経験はなく、竹下は身長159センチと見た目があまりにも小さい。しかも22歳になったばかりで、セッターとしては若すぎた。チームの司令塔ともいえるセッターは、キャリアのある選手をコートに立てるのが定石だからである。

 次々と聞こえてくる「まさか、竹下を使うんじゃないだろうな」という外部の声に、葛和は耳を貸さなかった。故障者だらけでまともな戦力がない以上、葛和がNECの監督時代に、徹底して鍛え上げた彼女たちの実力を信じるしかなかった。

 新メンバー招集の記者会見で、竹下は毅然とした面持ちで言い切った。

「私は、勝つために呼ばれました」

シドニー五輪時、招集には「若すぎる」という声もあった竹下佳江さん ©文藝春秋

 葛和の思いに必ず応えるという竹下の強い意思が込められていた。

 竹下の加入で、速さを手にした全日本は、最終予選直前の海外遠征で、当時ランキング1位のロシアに2勝し、中国で行われた4カ国対抗では4勝2敗、キューバ戦は7勝0敗、アメリカ遠征では5勝1敗と、これまで歯が立たなかった強豪国をことごとく破った。

 葛和が「こんなに調子よくていいのかな」と逆に心配になるほど、チームは絶好調だった。なかでも、竹下の速いトスと江藤のクイックのコンビは日本の武器になると、葛和は踏んだ。選手たちの闘争心も3年前が噓のようにわき立っている。最終予選の準備は出来た。

 だが好事魔多し。葛和が、準備が出来たと思った瞬間からチームが狂いはじめたのである。

この記事の写真(4枚)

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

文藝春秋をフォロー
z