「みんな、丸裸にされてしまいました」
テレビ局に“ニッポンの怒る人”と命名されるほど、葛和は選手全員に檄を飛ばした。コートには涙、汗、鼻水などあらゆる体液が染み込んだ。江藤が思い返す。
「葛和さんにみんな、丸裸にされてしまいました。だからもうみっともない部分も弱い部分も見せ合えるようになったし、そうこうするうちに、選手間の距離も徐々に埋まっていったんです」
まだ更地を耕す段階だった98年の世界選手権は8位に沈んだものの、徐々に力をつけてきた葛和ジャパンは、99年のワールドカップでクロアチア、アメリカ、中国などの強豪を破り7勝4敗とチームが闘う集団に変貌していた。
ワールドカップで大活躍したのが、あの熊前だった。無表情だった顔に自信の笑みを浮かべ、コートを駆け回る。熊前は一躍、人気選手になった。当時全日本団長だった小島孝治がしみじみ語っていた。
「45年もバレーに関わっとるが、これほど短期間に急成長したチームは初めてや」
チーム結成3年目で、やっと世界と闘えるチームになった。
その一方、怪我人が続出する。主将の多治見、江藤、森山がそれぞれ足を故障した。特に多治見の膝は手術を要するほどボロボロだった。
「チームをまとめるのに無我夢中で、自分の身体をかえりみる余裕がなかった。最終予選に間に合うようにメスを入れたんですけど、思った以上に身体が壊れていました」