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“十字架”はロンドンに置いてきた

 02年、竹下は当時Vリーグの下部組織V1に落ちていたJTに入団、結婚した大懸は03年、成田姓となり久光製薬から復帰を果たす。

 竹下がJTに入団すると、全日本でともに闘った江藤が日立から、森山は東洋紡、熊前は東レからJTに移籍してきた。江藤が言う。

「アメリカで怪我する前に竹下と合わせたコンビの感触が忘れられなかった。もう一度合わせてみたい。日立が廃部になるとき、オファーは4チームぐらいからいただきましたけど、竹下がV1のJTで復帰すると聞いたので、迷いなく決めました。だから、東レを辞めた熊前にも声をかけた。私たちはこのままじゃ終われないですから」

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 あれから12年。ほとんどの選手たちは引退し、それぞれ第二の人生を歩んでいるものの、時折、シドニー五輪の傷がうずくことがあった。

 唯一、全日本のユニフォームを着続けてきた竹下が、彼女たちの心に沈殿していた澱(おり)を、ロンドン五輪でやっと拭い去ることが出来た。

ロンドン五輪でのメダル獲得に貢献した竹下佳江さん ©文藝春秋

 竹下は心の底から笑みを見せた。

「私は全日本のユニフォームを着るとき、常にシドニー五輪組の代表として闘って来たつもりです。でも今、シドニー五輪の十字架は銅メダルと引き換えに、ロンドンに置いてくることが出来ました」

 竹下の笑みには一点の曇りもなかった。