前述のとおり、PCR検査には高温でも働くDNAポリメラーゼが必要です。一般的にタンパク質は高温になると「変性」し、構造が変わってしまい、2度と元には戻りません。酵素もタンパク質ですから、高温になるとその機能が失われてしまいます。
PCR法が発表された直後に、私はランドル・サイキ氏をつかまえて質問し詳細を説明していただきました。その後、手順書を送ってもらいました。私が初めてPCR法を試みたときには、高温でも機能を失わない耐熱性のDNAポリメラーゼはありませんでした。
そのため、95度と37度の水槽を用意して、まず95度の水槽に容器を入れてDNAを2本にほどき、37度の水槽に移し替えてDNAポリメラーゼを加えるという作業をしていました。2~3時間のあいだトイレにもいけないきびしい実験環境でした。
耐熱性のDNAポリメラーゼがあればPCR法は格段に容易になりますから、いくつかの会社に火山の近くの高熱の池から細菌を採取して、そこから耐熱性のDNAポリメラーゼを取り出してはどうかと勧めましたが、「ガン無視」されてしまいました。今は、耐熱性の酵素のほか、容器にすべての材料を加えて検査機器に投入すれば、機器が自動的に検査してくれます。
変異ウイルスを検出するには
ところで、2021年3月、フランスのブルターニュ地方で新たに見つかった変異ウイルスが、PCR検査をすり抜けていたことが報道されました。PCR検査で感染者を見つけることができなければたいへんなことになると大騒ぎになりました。
そのときの検査をすり抜けたのは事実ですが、その変異ウイルスをPCR検査で見つけられないわけではありません。その変異ウイルスの遺伝子が、そのとき行われていたPCR検査に利用したプライマーに合致していなかっただけのことです。
この報道の当時は、新型コロナウイルス感染者の診断に用いられているPCR検査の大半は、最初に確認された従来型のウイルスのゲノム解析により特定した従来型の新型コロナウイルス独自の遺伝子をターゲットとしており、プライマーは従来型の新型コロナウイルスの塩基配列の一部と結合するように設計されていました。
従って、プライマーとの結合部分の塩基配列に変異を起こした変異ウイルスの遺伝子は検出することができませんでした。ブルターニュ地方で見つかった変異ウイルスが、その当時のPCR検査を“すり抜けた”のは、そのような変異を持つウイルスだったためだと思われます。もちろん、その変異ウイルスの遺伝子が検出できるようにプライマーを設計すれば、PCR検査で検出することができます。
PCR検査では複数の遺伝子を同時に検出することもできます。それぞれの遺伝子に対応するプライマーを投入すればよいだけです。現在では、従来型やアルファ型、デルタ型など確認されているすべての変異ウイルスを1度に検出し判別できる検査キットも開発されています。もちろん、新たな変異ウイルスが出現すれば、そのウイルスに対応するプライマーを設計する必要があります。
ブルターニュで起こったようなPCR検査の「すり抜け」を防止し、PCR検査を万全なものにするには、新種の変異ウイルスを見逃すことなく確認し、その変異ウイルスに対応するプライマーを設計しておく必要があります。そのためには、新規感染者のウイルスのゲノムをすべて解析し、ウイルスゲノムの遺伝子配列を特定しておかなければなりません。
しかし、繰り返し指摘してきたように、残念ながら日本にはその体制がなく、ウイルスの追跡と新たな変異ウイルスの確認は外国まかせというお寒い状況のままです。
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