人間に都合がいいように世界を変える話は書けない
「映画を観て、『鹿の王』というタイトルだから子鹿が『ライオンキング』のように鹿の王様になる話かと思っていたら、違ったという感想をツイートしている方がいて、思わず笑ってしまったのですが、ファンタジーというと剣や魔法で問題を解決するという先入観を持たれてしまうことは、よくあることだと思います。
『香君』も、嗅覚が優れていて、植物の声を聴くことができる少女が主人公というと、超能力で何かを成し遂げる物語と思われてしまいそうですが、読んでいただけばわかる通り、そうではないです(笑)。危機から脱するために人間に都合がいいように世界を変える話は、私はどうしても書くことができません。世界を構成しているすべてのものと同じように、人もまた、世界のすべてに繋がっていて、万物と影響し合いながら生きていると感じているので。
これまで気づかなかったけれど、世界は、実はこういう姿をしていたのだということに気づく瞬間に心惹かれます。文化人類学に惹かれた理由も、フィールドワークによる実体験を通して、世界と人についての気づきが得られるからで、逆に言えば、日頃は気づいていないことがたくさんあるわけです。
私たち人間が命を繋いでいられる理由の中には、そういう目には見えない様々なことによって成り立っている部分があって、私はそういう見えないネットワークみたいなものに、すごく心惹かれるのです。香りも、それこそ目に見えないものですよね。香りから見えて来た世界の姿に驚き、ワクワクしたことが、この物語を描く時の大きな原動力になっていました」
上橋さんの物語の書き方は、独特だ。上下巻の長編であっても、プロットはつくらない。膨大な資料を読みながら、ファーストシーンが浮かんでくるのを待ち、ひとたび、物語に命が宿ったら、そこからは物語に導かれるまま書きあげていく。