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「テレビに出るのが怖かったです」リア・ディゾン35歳が明かす“グラビア界の黒船”時代に見ていた本当の景色

「テレビに出るのが怖かったです」リア・ディゾン35歳が明かす“グラビア界の黒船”時代に見ていた本当の景色

リア・ディゾンさんインタビュー #1

2022/04/02

genre : エンタメ, 芸能

note

リア その頃はまだ、街を歩ける感じだったんです。前の年に出した写真集はアメリカ時代に撮っていたものを集めたものでしたし、歌手としても配信でカバー曲を出していたくらいで、いわゆる“デビュー前”だったんです。

――当時のお仕事で、特に印象に残っているものはありますか?

リア テレビだと、『うぇぶたま』(テレビ東京)というバラエティ番組が一番好きでした。バナナマンさんと白石みきさんと一緒にホスト役をやっていたんですが、私にとっては初めてのテレビ番組で。バナナマンのお二人も白石さんも、スタッフの方もとても優しくて、すごく好きな番組でした。私の仕事が忙しくなってしまって、半年くらいで出られなくなってしまったんですが、あの番組はずっと続けたかったな、と今でも思ってます。

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『ミュージックステーション』に出たかった

――忙しくなった一番の転機は、成人式の翌月、2007年2月に初のオリジナル写真集『ハロリア!Hello! Leah』(集英社)と、ファーストシングル『Softly』を同日発売されたことですよね。写真集は大きな話題になり、リアさんは「グラビア界の黒船」と称されるように。一方のシングルもオリコン7位にランクインして、一気に世間に名前が知れ渡りました。このときは、どんな思いだったんでしょうか。

リア 私にとってはもう、本当に夢を見ているような感じでした。シュールな世界に入り込んでしまった、全く想像もつかなかったようなことが起きた、という感じで……。宇多田ヒカルさんがテレビで「最近、一番ハマっているのはリア・ディゾンの写真集です」と言ってくれたときも、「え、私のこと!?」って。

社会現象にもなった写真集『ハロリア!』(集英社)

――もともと日本で活動するに当たって、こんな方向性でやりたいといったイメージ像や、目標のようなものはありましたか?

リア そうですね……。例えば「トップになりたい」みたいな野心があったわけではなくて、それよりも「まずは日本で活動してみたい」という気持ちが大きかったと思います。その中で、もし可能であればレコードを出したい、アルバムを出したい、それで本当にうまくいけば『ミュージックステーション』に出られるかもしれない、というのが一番の理想でした。

 アメリカにいた頃から『ミュージックステーション』が好きで、自分にとっては日本の芸能界のトップの番組だと考えていたので、もし出られたら嬉しいなって。

紅白のときは「精神状態があまり良くなかった」

――実際に『ミュージックステーション』にも出演されましたが、初めて出られた時のことは覚えていますか?

リア すごく緊張しましたね……。あまりに緊張しすぎて、楽しめなかったです(笑)。でも、私の様子を見て察してくれたのか、aikoさんがすごく優しく接してくださったんです。それは、今でも忘れられないです。