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「来るの? 来ないの?」

「でも、柳本さんからは絶対に来てくれというものではなく『来るの? 来ないの? どっち?』という軽いものだったんです」

 最初は、成田のポジションも決まっていなかった。

 4年前の最終予選で4箇所の疲労骨折を抱え、痛み止めを注射しつつ頑張り通した精神がよみがえり、両腕が紫色に変色するまで練習した。それにもかかわらず、一向にポジションが与えられないのは辛かった。柳本は試合直前にならないとスタメンを決めない主義とは聞いてはいたが、初めて経験するチームの生き残りを賭けた神経戦に、成田は音(ね)を上げそうになった。

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アテネ五輪に臨んだ柳本晶一元監督 ©文藝春秋

「ゲーム練習をやるときはライトだったり、レシーバーだったり。私はセンター、セッターも含めて、すべてのポジションをこなせるというのが秘かな自慢だったりするんですけど、最後までポジションが決まらないのは私ぐらいだった。いつ落とされるかという不安と毎日隣り合わせ。だって、最終予選が近づき、本格的なゲーム練習を始めた時に私はBチームのリベロ。最終メンバー12人には、Bチームのリベロって一番必要ないじゃないですか」

 佐野に代わり、リベロに決まったのは大会2週間前だった。

 成田、大友の加入でワールドカップより一回り厚みを増した柳本ジャパンは、柳本の目論見通りに初戦のイタリアを打ち負かした。その後ロシアには敗れたが、何と1位通過で五輪出場の切符を手にした。全勝対決となった韓国戦ではテレビの瞬間視聴率48・4%を記録している。

 久しぶりに女子バレーにメダルへの期待が高まり、アテネ五輪前の民間調査では「最も応援したい種目」の1位に女子バレーが選ばれた。