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栗原はガチガチに震えていた

 南欧特有の透明な太陽光線が、アテネの街並みを金色に染め、世界中から集まった観光客の表情は華やいでいた。04年8月、五輪が開催された古代都市は、オリンポスの神々が悠久の眠りから目覚め、躍動しているようなエネルギーにあふれていた。

 日本の第1戦の相手はブラジルだった。だが体育館に入った選手たちはアップのときからコチコチに身体が固まり、表情から余裕が消えていた。

 試合開始のホイッスルが鳴った。

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 竹下がサーブに立つ。竹下のジャンプフローターサーブは、ブラジルのエンドラインを割った。考えられないミスである。続いて高橋のスパイクがアウト、大友のライト攻撃もブロックされ、ほんの2分も経たないうちに0−5になった。柳本はたまらず、タイムアウトを取る。

 このシーンが、その後のアテネでの彼女たちの闘いを象徴しているようだった。

 吉原以外はとにかく全員が緊張していた。栗原はガチガチに震えていた。大山や佐々木みきは「オリンピックに出ている感動」で、涙が出ていた。高橋は緊張で地に足が着かなかった。選手のほとんどが、脳からのインパルス(電気信号)が乱れ、筋肉や腱などの運動器を普段どおりに動かすことが出来なかったのである。

アテネが初の五輪出場だった栗原恵選手 ©文藝春秋

 どんなに練習を重ねてきても、緊張や焦りで脳から発せられるインパルスが乱れてしまっては、高いパフォーマンスを発揮できない。オリンピック初出場のプレッシャーが、選手たちを大きく狂わせていた。

 選手ばかりか五輪初体験のスタッフらも緊張し、事務的な混乱も発生。チーム内はチグハグになった。前回のオリンピック不出場のツケが、大きなダメージとなって柳本ジャパンを襲ったのである。