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連載日の丸女子バレー 東洋の魔女から眞鍋ジャパンまで

「気持ち悪い」「相手を舐めているんでしょ」“日本根性バレーの終焉”を象徴する〈コートの中の笑顔〉

日の丸女子バレー #35

2022/04/16
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「女みたいでいやだ」

 眞鍋は東京五輪の1年前、兵庫県姫路市で旅館を経営する一家の一人息子として生まれた。子供の頃の遊び場は、今は世界遺産になっている姫路城。テレビアニメ『巨人の星』に夢中だった少年は、広い城内でキャッチボールをするのが日課だった。

自身も代表チームでセッターとして活躍した ©JMPA

「城壁にボールをぶつけて一人キャッチボールをしたこともある。世界遺産に登録された今となっては、実に冷や汗ものです。小学校の頃は野球に夢中で、日本中を熱狂させた72年のミュンヘン五輪男子バレーボールの記憶もほとんどないくらいです」

 長嶋茂雄、王貞治に憧れていた少年は、中学に入ると体格がよかったことから捕手を命じられる。眞鍋は途端に野球に興味を失った。

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 スポーツから遠ざかってしまった眞鍋に、バレー部顧問が声をかけた。しかし、野球少年にバレーは軟弱なスポーツに思えた。

「バレー? ハイソックスを履いて、“そーれ”とか言ってやるスポーツでしょ。女みたいでいやだ」

 バレー部顧問が耳元で囁いた。

「お前の力で、バレー部を強くしてみないか」