「お前はセッターをやれ」
野球部を辞めて自棄的になっていた眞鍋の心に火がついた。元来の負けず嫌いの精神がむくむくと姿を現す。練習はきつかったが、野球を辞めたときのように自分に負けるのは嫌だった。中学3年になる頃には、弱小だったバレー部が全国大会に出場するまでになった。
高校は親元を離れ、大阪商業大学高等学校(当時大商大附属高)に進学。大商大附属高はインターハイ、春高バレーなどで何度も優勝を重ねている強豪校。野球でいうならPL学園のようなものだ。
バレー部員はほとんどが190センチ台で、当時183センチの眞鍋は身が竦(すく)んだ。中学ではエースアタッカーとして鳴らしていたものの、仲間たちが打ち下ろすスパイクを目の当りにし、自分の生きる道はあるのかと尻込みしそうになる。
そんな眞鍋に監督の鶴の一声が届いた。
「お前はセッターをやれ」
セッターは特殊なポジションだ。試合中、最も多くボールに触り、セッターのトス加減で勝敗が大きく変わる。対戦相手の作戦をいち早く見破るだけでなく、ライバルの性格や癖を見抜く力も必要である。そして、チームメイトのその日のコンディションをコートに入る前に見抜き、トスを上げるたびに勝つために最も有効な方法を見出さなければならない。身体も疲れるが、それ以上に頭が疲労する。
そのため、名セッターと呼ばれる選手のほとんどは小学生から、遅くても中学の頃にはそのポジションに取り組んでいる。ちなみに竹下は小学校からはじめ、天才セッターといわれた中田久美は中学時代から練習を重ねた。