「ねえ、お母さんって今日はお仕事で戻らない感じなの?」
「娘から聞いていますよ。すみませんねー遠くからねー」
「あー、いえ、全然、それは」
軽く会釈をして、Yさんたちはキッチンに荷物を置いた。
ジャー、トントントン。
二人並んで夕飯の準備をするFさんとYさんの近くのリビングで、Fさんのお父さんはテレビを見ていた。
話に聞いていたおかしい様子は感じられない。
むしろ気になるのはお母さんだった。家に着いてから1時間以上は経っているのに、まだ一度も見ていない。というより、Fさん一家の口からお母さんについての話すら出ていなかった。
「ねえ、お母さんって今日はお仕事で戻らない感じなの?」
「お母さんですか? お母さんは風邪ひいて今寝込んでるんですよ」
「え、そうだったの。なんか変なタイミングできちゃってごめんね。じゃあ、お母さんの分は作らないほうがいいかな――」
カチャ。
リビングに続く扉が開き、奥からマスクをしたFさんのお母さんらしき女性が現れた。
「どうもすみません、お構いもできなくて……」
「あ、お邪魔しています。ごめんなさい、体調悪いときに」
「2、3日前から風邪ひいちゃってて」
「あとでおじやとか作って持っていきますか?」
「ありがとうね、でも大丈夫よ」
挨拶を交わした後、お母さんはそそくさと部屋に戻っていってしまった。
「よく寝る前に一人でボソボソ言うんですよ」
その後、夕食が出来上がりYさん、Fさん、Fさんのお父さんの3人で食卓を囲みながら、テレビのバラエティ番組を見て、他愛のない会話をする。
ごくごく普通の家庭のような和やかな雰囲気。ここに来るまでにいろいろ考え込んでいたのは杞憂だったのかな。
食事と片付けを終え、お風呂を貸してもらった頃には、時刻は21時を回ろうとしていた。
時計を見ていたYさんの横をFさんのお父さんが通り過ぎる。
「じゃ、もう●●の時間なんで失礼するね」
何の時間と言ったのか聞き取れなかった。
Fさんのお父さんは、そそくさと1階の奥の和室に行ってしまった。
カチャン、とリビングと廊下を仕切る扉が閉まる。
微かな沈黙を埋めるテレビの音。
「ねえ、今お父さん“なんとかの時間”って言っていたけど、なんなの?」
「あー、よく寝る前に一人でボソボソ言うんですよ。聞き返しても答えてくれないし。よくわかんないんです。それより、寝る前にアイス食べません?」
「え、うん……」
Fさんが手渡してきたアイスを手に取り、Yさんはモヤモヤしたままリビングに座った。
そして、アイスを食べ終えてから歯を磨き、二人は2階のFさんの部屋で床につくことになった。