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連載日の丸女子バレー 東洋の魔女から眞鍋ジャパンまで

2022/04/23

「男子は高さ、パワーの面でどうしようもない」

 テレビ局の招きで北京五輪の解説席に座った眞鍋は、男女ともくまなく試合を見た。

 そこで、女子にこそメダルの望みを見出す。

「男子は高さ、パワーの面でどうしようもないと思ったけど、女子ならディフェンス能力があるし、竹下もロンドン五輪では33歳か34歳。戦術次第ではメダルの可能性があると思った。でも、そのときは全日本の監督になるなんて考えてもいませんよ。その年に全日本監督の公募があり、ダメもとで応募してみたんです」

 08年末、日本バレーボール協会が公募した全日本女子監督のコンペに合格し、日本代表監督に就任した。

 女子の世界をまるで知らなかった監督がその後、女子バレー界に大きな変革をもたらすことになるのだ。

 就任してすぐ、世界を知ることからはじめた。目標を立てるには、まず現状を把握する必要がある。日本が世界のどの位置にいるのか、正確に把握しなければ確実な目標も立てられない。

 眞鍋は早速行動を開始する。二強といわれるブラジル、米国だけでなく、ロシア、イタリアなどヨーロッパ勢のリーグ会場に足を運び、試合を偵察。帰国しては国内のVリーグ会場を訪れ、自分の目で全日本に招集したい選手をマークする。

 その頃、徹底してチェックしたのが竹下のプレイだ。セッターはチームの要。監督とセッターの考えは一枚岩でなければならない。世界一のセッターと言われつつも、自分の戦術・戦略を理解してくれるかどうかを確かめるため、竹下のトス回しや癖をチェックしては分析し続けた。

眞鍋監督にメダル獲得の可能性を確信させた竹下佳江選手 ©JMPA

「彼女のトスは、僕の考えと八割方合っていました。ただ、これまでの長い代表歴で、戦術的なことを監督やコーチと話し合ったことはないな、と感じたんです。だから彼女とは、戦術面で徹底して言葉を重ねましたよ。でも、彼女は勘がいいし勉強家だから、僕の考えをすぐに理解してくれましたけどね」

 確かに竹下は以前、進化する海外のブロックシステムへの対応が、日本は出来ていないと嘆いていたことがあった。そんな物足りなさを埋める答えを、眞鍋が用意していたのだ。

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