監督就任1年目で2年連続最下位に沈んだチームを日本一に導いた高津臣吾監督。同氏はその快挙の一要因に、野村監督からの遺伝子を引き継いだ“スワローズにしかできない野球”があったと語る。
はたして野村監督から引き継がれた野球とはどんなものなのか。ここでは高津氏の著書『一軍監督の仕事 育った彼らを勝たせたい』(光文社新書)の一部を抜粋。現代野球にも通じる野村克也監督の哲学について紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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野村野球の現代性
野村監督がスワローズの指揮を執っていたのは、僕が入団する1年前の1990年から1998年までである。入団してすぐ、野村監督から野球のイロハを仕込まれたのは本当に貴重な体験だった。
僕が作りたいと思っている「スワローズ・ウェイ」は野村野球の遺伝子をくむ。言い換えれば、監督の野球はいまでも有効なものなのだ。いまだに、僕たちは野村監督から仕込まれた――現代風に言い換えるならばインストールされたツールを使って野球をやっている。野村監督の発想は、30年以上経過したいまも有効なのである。そして間違いなく、野村野球と現代の野球はつながっている。
統計や映像の発達によって、この10年間でプロ野球界は大きな変貌を遂げたが、かえって「野村野球の現代性」が浮かび上がっている気がする。むしろ、こう表現すべきかもしれない。
いまのプロ野球は、野村監督の野球を基にスタートしているのではないか。
監督の考える野球の基本は、感覚に頼りがちだった野球の世界に「論理性」をもち込み、論理を構築するために「観察すること」「考えること」を選手たちに浸透させた。
「相手ピッチャー、バッターのクセ、いろいろ見てれば、気づくことがあるだろう」
そうぶっきらぼうに言って、僕たちに「発見」を促した。そのときの観察方法も、いまだに生きている。スワローズは相手を観察しているし、敵軍だってしている。しかし、相手に一歩先んじて情報を収集するのが生命線だ。
情報を集め、そこから知恵を絞る。野球の仕事のいちばん楽しい部分だ。ああでもない、こうでもないと考えていくと、新しい発想が見えてくる。それは、野球の常識をひっくり返すようなもので、どれだけ自分の武器になったか分からない。